天満神社

 菅原道真が太宰府へ向かったとき、海が大荒れとなり、船は流されて豊前国下毛郡の中尾の松原に漂着したといふ。ここに珍しい石があったので、菅公はその石に腰を掛けて休み、歌を詠んだ。

 ○年を経し木高松に春の来て、今ひとしほのみどり見えけり

 菅公が里の老人に石の名を尋ねると、「止良石(とらいし)」といふらしい。

 ○身のうさを良くも止どむるとら石の名を聞くさへも頼もしきかな

 また傍らに「野田の清水」といふ泉があり、これをめでてさらに歌を詠んだ。

 ○久方の空もはるけき雲晴れて、かげ清けなる野田沢の水

 菅公は船旅の疲れもあって、この地に二十七日間ほど滞在し、太宰府へ向かった。

 のち、村上天皇の御代に、菅公の孫にあたる従三位菅原文時が、この地を訪れ、野田の清水を見て歌を詠んだ。

 ○たらちねのみゆきのあとも長閑(のどか)にて残れる水の影もにごらじ  菅原文時

 文時は、止良石の周囲に池を掘らせ、中に社を建てて菅公の霊をまつったといふ。中津市犬丸の天満神社である。