羽咋の海 珠洲の海

羽咋市、七尾市

 むかし大己貴命と少彦名命が能登国をめぐり、土地の多気倉長(た け くらなが)命と力を合せて能登の国作りをした。のち少彦名命の霊は神石にこめられて宿那彦神像石神社(七尾市黒崎町)にまつられ、大己貴命は気多(けた)神社(羽咋市)にまつられた。天平二〇年に越中守の大伴家持が陸路、志雄(しを)の里を通って、気多の神に詣でたときの歌がある。

 ○志雄路(しをぢ)からただ越え来れば、羽咋(はくひ)の海朝凪したり。船楫(ふなかぢ)もがも   大伴家持

 付近には釈迢空師弟の墓所もある。

 ○気多(けた)の村。若葉黒ずむときに来て、遠海原の音を聞きをり     釈迢空

 ○春畠に菜の葉(すさ)びしほど過ぎて、おもかげに師をさびしまんとす  折口春洋



伊夜比咩神社  大伴家持が能登の長浜の浦(七尾南湾)を訪れたときの歌。

 ○珠洲(すす)の海に、朝開きして漕ぎ来れば、長浜の浦に月照りにけり   大伴家持

 家持と長浜の長者の娘の子孫が小林家だといふ。

 七尾湾に浮かぶ能登島の伊夜比咩(いやひめ)神社の神(越後の弥彦の神の后神といふ)は、島の良材を以て船材を伐り出すことを教へた神といふ。

 ○とぶさ立て船木きるといふ能登の島、山今日見れば木立繁しも   大伴家持