篠原の実盛塚

加賀市篠原、小松市

 治承四年(1180)、木曽に挙兵した源義仲は、北陸路を制覇し、越中から京へ進軍しようとしてゐた。平家方の斎藤別当実盛は、老齢の身ではあったが、故郷の越前を守るべく、寿永二年(1183)加賀から越中へ入らうとした。だが、倶利迦羅(くりから)峠で義仲の軍の前に大敗し、加賀国篠原で手塚太郎と一騎打ちの末、討死した。その首が義仲に届けられると、義仲は実盛の首に間違ひないと思ったが、髪が黒いのを不審に思った。そこで近くの池で首を洗はせると、染めてゐた黒髪が白髪に変った。七十三才の老将の心構へに、源氏の武士たちは深い感銘を受けたといふ。実盛の兜は、多太(ただ)(八幡)神社(小松市)に納められたといふ。

 ○無残やな兜の下のきりぎりす                  芭蕉

 実盛は稲の切り株に足を取られて討たれたともいひ、それ以来実盛の霊は(いなご)などの害虫となって農民を悩ますので、西日本の虫送りの行事では実盛の霊も供養されてきた。