遊女思鶴
那覇市
思鶴は、読谷山間切久良波村の裕福な家に生まれ、幼いころから歌の才にも恵まれた美しい娘だったが、家運が傾き、十三才でやむなく仲島の遊郭に売られることになった。那覇へ向ふ途中の比謝橋で、わが身を歎いて歌を詠んだ。
○恨む比謝橋や、情無ん人の、吾身渡さと思て、かけてうちえら
沖縄の遊郭は特別なものではなく、領主を始め人々の祝の宴なども遊郭で開催されたといふ。思鶴は、その美貌と文才により、たちまち仲島の名花とうたはれた。やがて思鶴は領主の仲里按司の寵愛をうけるやうになり、二人は固い絆で結ばれたやうだった。しかし傍若無人の大金持ちの男から何度も言ひ寄られ、思鶴は、仲里按司への純愛のために、自ら命を断ったといふ。本土の江戸時代初期ころの話。