鍛冶屋の神

鉄製品の生産は、近代の工業化以前は、おもに鍛冶屋職人たちの仕事でした。
大きな都市には今でも鍛冶屋町、鍛冶町という地名が残っていますが、どこも鍛冶屋職人たちの多かった町です。江戸では神田周辺に鍛冶町、神田鍋町があり、近くの岩本町に金山神社があるようです。鍛冶職・金工職人・金物商などが祭った神であり、埼玉県川口市の鋳物業者たちも金山神をまつると聞きます。

しかし長沢利明氏の『金山神社のふいご祭り』によると、岩本町の金山神社は戦後にできたものであって、江戸の鍛冶職人たちはもっぱら稲荷神をまつったといいます。
旧暦11月8日の「ふいご祭り」は「いなりふいご祭り」と呼ばれていました。
ふいご祭は、ミカンを投げて子供たちが拾うことで知られますが、「ほたけ、ほたけ」というかけ声で囃すといいます。

「みちのくの鉄」というサイトによると、近畿中国地方でも鍛冶の神は稲荷神だったようです。
また、火の神である三方荒神を祀る職人たちもあり、金屋子神のばあいもあります。柳田国男以来「金屋子神は古い八幡神と共通するので、もともとは八幡信仰であった」という見方になっているようです。

金山神を描いた掛け軸の画像が次のところで見られます。
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kyoudo/kyoudo/kobako/050_99/kobako60_.htm
「憤怒の形相の3つの頭、6本の手には刀剣を2本、斧、弓矢、宝珠を持ち、雲に乗って睨みをきかす明王形の像」と表現されています。
江戸時代末には沼津地方の鍛冶職は金山神を祀っていたようで、金山神は東海道を経由して東京に入ったのかもしれません。川崎市の若宮八幡宮の末社・金山神社の「かなまら祭」は、神社公式HPには遊女の病気平癒祈願から始まったと書かれますが、当時の鍛冶職のことは不明です。

以上、鍛冶職たちがまつった神の名前をピックアップしてみました。
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