瓦職人と稲荷の神

瓦職人がまつった神は稲荷様ではないかと、ある理由で予想を立て、ネット検索を試みたら、あっさり京都の伏見稲荷にまつわる解説ページに行き当たりました。
伏見稲荷というより、伏見人形についてのページです。

各地の郷土玩具として有名な焼物の土人形は、どれも瓦職人が作ったもので、それらの元となったのが伏見人形だということです。

豊臣秀吉が伏見城を築城するにあたって、瓦職人を伏見稲荷のある深草の地に集めて瓦を焼き、そのときの瓦職人が手遊びで作ったものともいいます。
あるいは古くから伏見稲荷の土を持って帰って田畑にまけば稔りが良くなるという土への素朴な信仰があって、土のかたまりが売られるようになり、だんだん土人形になっていったともいいます。狐をはじめいろんな動物の人形も売られました。

 西行も牛もおやまも何もかも 土に化けたる伏見街道  一休禅師

雄略天皇のころ、食器に使う焼き物を諸国に住む土師部から献上させ、伏見に住んでいた土師部も献上したと日本書紀にあります。土師部は古代の埴輪や土器を作った部民で、伏見にも住んでいたわけです。秦氏が伏見に稲荷社を祀る以前のずっと昔の話です。
深草には、瓦町、砥粉山町、開土町などの地名があります。

伏見人形の歴史 伏見稲荷訪問記 伏見人形のお店
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