敬語の力と歌の力

 浅田久子著『敬語で解く日本の平等・不平等』(講談社現代新書、平成13年)という本は出版されてすぐの頃に読んだ記憶がある。そのときのノートから拾い出してみると、
 「敬語は上位者と下位者をつなぐかけはしだった」と著者はいう。著者の論点を整理してみると、次のようになると思う。
 敬語などというと、身分社会の遺物のように思う人も一部あるかもしれないが、ヨーロッパや中国では、昔は身分が違えば言葉も違い、言葉はまったく通じなかったという。ところが日本では通じた。それは敬語があったためで、同じ日本語を共有し、その共通の日本語の上に敬語を発展させて来たからであるという。日本語に複雑な体系の敬語があるのは、身分社会が長く続いたためではなく、身分の違いを越えて古代から同じ日本語で上下の交流があったことの証拠なのだと著者はいう。

 古代から日本人はお互いどうしあまり血を流すことを好まなかった。しかし例外もあって、それは蝦夷や熊襲と呼ばれた人たちに対してである。彼らには当時の中央の「日本語」が通じなかった。だから異民族とみなされ、残酷な仕打ちも受けた。日本人の内と外の観念によると、内に対しては甘え、ひがみ、外に対しては遠ざけ、排除するというところがある。この外に対する排除というのは、あまり語られない、それ自体が避けられてきたテーマであるが、古代史の上では隠すことはできないで文献に残っているといわざるを得ない。

 再び著者の論にもどると、歌は訴えであるとは、よく言われることである。はるか古代に、日本人は神に訴えるときに、通常とは異なる発声で声を上げた。今でも和歌を詠むときには特別な調子がある。この古代の発声が、歌の起源であるという。歌がやがて文学として発展してゆくと、神に訴えるときには、別の方法が必要になる。発声を特別なものにするのではなく、語彙を変へてゆく方法がとられた。それが敬語の発生であると著者はいう。

著者のこの論は、面白い見方だとと思う。
ところで歌は、異民族だった蝦夷との間にも通じたという話が、前九年の役での源義家と安部貞任とのやりとりにある。

戦いに追い詰められた安部貞任が、衣川の館を捨てて逃げようとしたとき、源義家が馬上から連歌を詠み掛けた。
  衣のたてはほころびにけり(衣の経糸と衣川の館をかける)
貞任はこの歌に応じて付けた。
  年を経し糸の乱れの苦しさに(へし、繰る は糸の縁語)
義家はこの歌に感心して、そのまま見逃してやったという話である。

歌にも身分やときには人種を越えて解りあえる力があるという話である。

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日付 2005/08/13
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