鶺鴒鳴く

9月13日ごろが、七十二候の一つの鶺鴒鳴(せきれいなく)であった。

セキレイは渓流や川辺などでよく見かけるらしいが、この時分によく鳴き始めるのだという話である。
(画像のあるサイト http://okasoft.ddo.jp/bird/segurosekirei/index.html
小さな鳥のわりに尾が長く、古い和語で鶺鴒のことを「庭たたき」ともいい、いつもせわしなく尾をたたくように上下に振っていることから、
  世の中は鶺鴒の尾のひまもなし  凡兆
などという句にもよまれる。

日本書紀では、伊弉諾(いざなき)、伊弉冉(いざなみ)の二柱の神が結婚したとき、鶺鴒の交尾の姿を見て結ばれ、大八洲(日本)の国を産むことができた。
こうした故実により、明治記念館の結婚披露宴会場の壁にも鶺鴒が描かれたり、皇室でも同様の飾り物があるらしい。「恋教鳥」という異名もある。

  行く水の目にとどまらぬ青水沫(あをみなわ) 鶺鴒の尾は触れにたりけり 白秋

この北原白秋の歌は情景が綺麗である。ある種の性的な連想が働いたとしても品を落とすことはない。
からだの一部を振るということは、たとえば手を振るという行為、これは魂を招くための古代の呪的行為なのだといわれる。別れて行く人を遠くに見て手を振るというのは、相手の魂を寄せて再会を期待してのものということになる。また遠くから近づいて来る人に手を振るのは、まちがいなく相手の魂を招き寄せるためである。万葉集で「袖を振る」というのも同様である。

  少女(をとめ)らが袖布留山の瑞垣の、久しき時ゆ思ひき。われは 柿本人麻呂

鳥が尾を振るのも、何かの魂を招き寄せる行為と見たほうが良いかもしれない。鶺鴒の場合は、新しく生まれるものの魂ということになると思う。

9月18日は七十二候の「玄鳥去(つばめさる)」で、燕はもう南へ帰るらしい。 (9/22)
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