夕つげ鳥

 花の都は夜をこめて、逢坂の、ああこりゃこりゃ
 夕つげ鳥に送られて、こちや、名残をしくも、大津まで、こちやえ、こちやえ。

これは「東海道五十三次を行く」というサイト http://bruce.milkcafe.com/kaidou/what4.htm に載っていた東海道の道中歌で、「下り唄」の最初、京都を立って逢坂山を越えて大津に至るときの歌である。

夕つげ鳥は夕告鳥とも書くが、その鳥に送られて、といっても、夜間に歩くのではないのだろう。夕告鳥は、もとは「ゆふつけ鳥木綿着け鳥)」といっていたのを、夕方を告げる鳥と解釈されてできた言葉だと辞書の説明にある。

平安時代の初め、世の中の騒がしいときに公の行事として「四境の祭」が行なわれ、鶏に木綿を付けて都の東西南北の境に至って祭った、ということが「伊勢参宮名所図会」に書かれる。四方から悪霊が入り込まぬようにお祓いをするということなのだろう。鶏なので鳴いたのはやはり暁だろうと思う。
鶏に付けた木綿とは、注連縄に下げたりする木綿紙垂のことだろう。鶏には悪霊を退散させる力があるのである。「こぶとりじいさん」の出逢った鬼たちも、鶏の鳴き声とともに帰っていった。
四方の関とは、東は逢坂山、北は有乳山(若狭路)、南は龍田(大和)とあり、西の穴生とはどこなのかちょっとわからない。
(谷川健一氏の本に、「北は逢坂、東は鈴鹿、南は龍田、西は須磨」とも書かれる)

 たがみそぎ、ゆふつげ鳥か、からごろも龍田の山におりはえて鳴く 大和物語

龍田山でゆふつけ鶏の鳴く声を聞いて、誰の禊(みそぎ)だろうと歌っている。公のお祓いだけでなく、個人の行事としてもあったことがうかがえる。

百人一首にも清少納言の歌がある。

 夜をこめて鶏のそら音ははかるとも、世に逢坂の関は許さじ  清少納言

(史記では孟嘗君が真夜中に鶏の鳴き声を真似させて函谷関を開けさせたといいますが、たとえそんなことをしても、男女が逢うという逢坂の関は、お通しすることはできません。……夜に男の誘いを断るときの機知の歌であるという)
逢坂山でも実際に鶏は鳴いたのである。

 逢坂は人越しやすき関なれど鶏も鳴かねば明けて待つかな  行成

さて「木綿着鳥は京都四境の祭の牲(ニエ)なり」と地名辞書にあるが、柳田国男翁が鶏について語ったときよくそういった話が出てくる。
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