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トウトの神、トトウの神


6、トウトの神、トトウの神


 鳥取部に関連して「とと」「とっと」と読む神社名を探してゐたら、柳田国男『地名の研究』に出てくる「遠戸神」らしきものに出逢った。「遠戸神」は「近戸神」に対するものであるともいふ。「遠戸」と表記するものはないが、可能性が高いのは次の通り。

鳥頭神社(とっとう)  倭建命 大穴牟遲神ほか 群馬県吾妻郡吾妻町三島
鳥頭神社(とっとう)  大穴牟遲神 倭健命ほか 群馬県吾妻郡吾妻町矢倉
渡唐神社(ととう)   少彦名命   埼玉県大里郡江南町三本
三柱神社(唐土(からつち)明神) 軻遇突智神ほか 神奈川県津久井郡藤野町小淵
唐土神社(とうど)   素盞嗚尊   山梨県山梨市正徳寺   
唐土神社(とうど)   素盞嗚尊   山梨県東山梨郡牧丘町成沢
唐土神社(とうど)   素盞嗚命   山梨県東八代郡一宮町上矢作
唐土神社(とうど)   素盞嗚尊   山梨県東八代郡八代町竹居
唐土神社(とうど)   大己貴命   山梨県韮崎市竜岡町下条南割字宮本
唐土神社(とうど)   武内宿禰   山梨県北巨摩郡須玉町江草
七社遠渡神社(…とうどう) 大己貴命 少彦名命 山梨県南巨摩郡早川町笹走
遠渡神社(とうどう)  猿田彦命   山梨県南巨摩郡早川町榑坪
唐頭神社(とうつ)   少彦名命    静岡県引佐郡細江町気賀
東頭神社(とうづ)   祭神不詳   静岡県浜松市伊左地町 八幡神社(境)
東頭神社(とうづ)   素盞嗚尊   愛知県豊橋市石巻町字東頭
唐土神社(からつち)  曾富理神   愛知県新城市小畑字荒神ケ入
東頭社(とうとうしゃ) 事勝國勝長狹神 天鈿女命 愛媛県北条市院内
唐渡神社(とうど)   菅原道眞   熊本県人吉市下戸越町   
調宮神社(ととのみや) 伊邪那岐命  滋賀県犬上郡多賀町栗栖
止々神社(とと)    道主命    福岡県宗像郡玄海町大字田島 宗像大社(境)
戸取神社(ととり)   手力雄命他  福岡県京都郡苅田町大字苅田字荒崎
十所神社(とところ)  菅原神    大分県大野郡緒方町大字大化 大行事八幡社(境)

 古代の読み方ではないので、トウと遠(とほ)は区別できない。
 唐土をトウドと読む例があるので、カラツチと読むものも一応列記した。
 祭神名については、唐土神社でカラ(韓)にちなむ曾富理神・素盞嗚尊など、渡唐神社では菅原道真が目立つが、チカツ社より全体の例が少ないので特徴はつかみにくい。菅原道真は遣唐使を廃止した政治家なので、唐には渡ってゐないはずである。道真の漢詩や学問を尊敬してのものなのだらうが、室町時代の禅僧によって、彼は天満天神となって渡唐し、径山(きんざん)の無準(ぶしゆん)禅師のもとで修行したことになったという。
 東京都文京区の湯島神社(湯島天神)も渡唐神の名があったと記憶する。湯島神社の祭神の天手力雄神は、江戸名所図会などいくつかの資料には末社の戸隠神社の祭神でもあり古い地主神だとあるが、「渡唐神」のことかもしれないがわからない。
 福岡県の戸取神社、止々神社の祭神にも、手力雄命、道主命とある。トウト神もチカツ神と同じく、一種の境の神、防ぎの神に分類される神である。
 しかし上記のリストは読み方の類似だけによって列記したものなので、本筋とは関係ないが、同じ条件の鳥取神社も、一応付け加へておく。

止止井神社(ととい(ゐ)) 天湯河棚命   岩手県胆沢郡前沢町字古城字野中
鳥取神社(とっとり)   天湯河桁命   三重県員弁郡東員町大字鳥取
鳥取山田神社(とっとり) 角凝魂命    三重県員弁郡東員町大字山田
鳥取神社(とっとり)   天湯河板擧命  三重県員弁郡大安町大字門前
鳥取神社(とっとり)   角凝命 他   大阪府阪南市石田

 柳田国男翁は、初期の著作『石神問答』で次のやうに書く。
 「唐土権現といふ社、諸国に散在すること別表の如し。相馬領には森にして遠々森または藤堂森といふもの二三あり。但し遠江の唐土はもと遠津にて近津権現に対する語なりと『掛川誌』に言へり。この説必ずしも確拠なし」
 唐土(遠戸)を近津の対とするのは「割拠なし」と言ひ、遠戸の語義については、同書では、左義長(とんど焼き)の掛け声の「とんど」「とうど」との関連を示唆してゐる。
 ところが後年の著作の『地名の研究』では「遠戸・近戸」を対のものとして言及してゐる(「5、ちかつ拾遺」参照)。『名字の話』では更に「遠戸と近戸は近世の語でいへば大手と搦手であって、関東地方では遠戸神・近戸神といふ神様が無数にある。奥羽の方へ行けば近戸森、遠戸森と変形する。伯爵藤堂家は近江から出た家であるが、この「トウド」もまた遠戸神の祭場のことである」といひ、『石神問答』とは異なる見解になってゐる。若き日に鋭い分析を見せた『石神問答』の唐土権現の話は、何か遠いところへ行ってしまったかのやうである。
 古語辞書によれば、近い場所といふ意味での「近?」といふ語は「近隣(ちかどなり)」の一語しかない。これとても「遠隣」に対する語ではなく、「すぐ隣」の意味をを強調するための類語の繰返しと思はれる。「遠隣」はない。「遠?」については「遠山」は目的の場所を示す意味ではなく、手の届かない漠然とした意味で、遠妻(夫)を遠目に見るのと同じ気分の語である。「遠?」と「近?」とが対になる語はない。「延喜式祝詞」にある「遠山近山」は「をちのやま、こちのやま」と訓ずべきと思ふ。
 となると「遠戸」の意味も、『石神問答』に従って、別に求めなければならない。遠戸の読み仮名は「とほと」であるのだが、前掲のリストを作った範囲では「とほ」と読めるものは一つもなく、「遠」の文字も使はれない。もともと「遠」の意味ではないのだらう。
 『石神問答』では「小生が生国播磨にてはこの行事を左義長とは申さずトンドと申し候 七草のトウドの鳥は右トンドと同じきや否や」ともいふ。「七草のトウドの鳥」とは、「6日の夜や7日の早朝に七草をまな板の上にならべ,包丁,すりこぎ,火ばしなどでたたきながら,〈七草なずな唐土の鳥も日本の鳥も渡らぬ先に……〉とはやす」(平凡社世界大百科)行事のことだらう。御伽草子には、唐の須弥山の南に住む白鵞鳥は、毎年春の初めに七草を食するので八千年を生きるといふ話があり、中国には無い話らしい。唐土の鳥の話は、トンドの掛け声から、日本で成立したものらしいのである。
(つづく)