美しく儚い女性たちの伝説

古代の美しくはかない女性たちの伝説といえば、万葉集の高橋虫麻呂の長歌に歌われた、葛飾の真間の手児奈の伝説と、生田川の伝説をまづ思い浮かべる。「歌語り風土記」では、長歌の部分を口語訳し、反歌を添えて歌物語ふうに仕立ててみた。

真間(まま)の手児奈(てこな)は「水汲み女」だったと言われるが、折口信夫が「最古日本の女性生活の根柢」の中で述べるように、「並みの女のやうに見えてゐる女性の伝説も、よく見てゆくと、きっと皆神事に与(あづか)った女性の、神事以外の生活をとり扱うてゐるのであった。」ということである。汲まれた水は公の神事での禊(みそぎ)のために使われたのだろう。水汲み女は神事の主役の貴い人の禊の一切に関わった女のことなのかもしれない。

 葛飾の真間の井見れば、立ちならし、水汲ましけむ手児奈し思ほゆ  高橋虫麻呂

生田川の伝説の菟原少女(うなひをとめ)も、長歌に「虚木綿(うつゆふ)の隠もりてませば」とあるように、そのような女性として少女時代を過ごしたことが歌われる。

 葦の屋の菟原少女が奥津城を、行き来と見れば、ねのみし泣かゆ  高橋虫麻呂

「歌語り風土記」からもう一つ探すとすると、秋田のふき姫の話だが、この話はそんなに古い時代のものではないような印象である。恋愛物語ではなく親孝行の話であるが、土地の名産品の由来の話になっているところは、たとえ近代ないし近世の新しいものではあっても、伝説としては説得力があると思う。
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