1両は、今の30万円、それとも?

宝島社新書の『江戸の家計簿』という本をぱらぱらと見た。
江戸時代の物の値段の紹介なのだが、監修者礒田道史とある。
監修者の序文に「1両は5万円? それとも30万円?」という見出しがあり、
1両は、米の値段で換算すれば5万円、大工見習いなどの給金で換算すれば30万円となり、現代の米の値段が安くなっていると書かれる。
よく読むと、この本は5万円と30万円のどちらを採るということが書かれていない。

中身を読みはじめてみると、両単位の金額については、30万円。
職人の手当ての銀何匁という単位は、60匁が金1両なのでで、30万円。

そのあと「医者と髪結い、高収入は江戸も同じ」という見出しがあり、
医者の薬礼、13文からで、1000円から、
髪結い代の32文は、2400円だという。
さらに旅籠代、高めの宿の200文は15000円というので、換算が高過ぎるように思った。(一泊300文の例もある)
……少し考えてみると、1両=30万円を、1両=4000文で計算するとそうなるようだ。
実際は両と文は常に変動するのだが、江戸中期以後は1両は6000文以下になったことはないそうだ。
私は、1両=32万円、1両=6400文が、実際に近い数字であり、計算もしやすいと思う。
それによれば、1文はちょうど50円になる。
髪結い代は1600円になり、それほど高いとはいえない。

花魁の花代、金1分は7万5000円、これは文が単位でないので、この通りだろう。

そのあと魚の初物の値段で、鯛一尾の金1分以上は、1万5750円以上だという。
花代1分のときと、大幅に換算金額が違う。これでは1両が6万3000円になる。
この換算法は、序文の「米の値段で換算すれば5万円」とも違う。
(鯛一尾が花代と同じ7万5000円とは、初物好きの熱狂が原因であり、庶民の感覚ではないが。)

そのあと、そば一杯16文は、250円だという。これは、1両=10万円の換算。

ここまでくると、1両は、5万なのか、6万3000円なのか、10万円なのか、30万円なのか、読んでいてわからなくなる人も多かろう。
宝島社の編集部で、数人で分担執筆し、それぞれネタが違ったのが原因なのだろう。

図版が多く、日用品などの値段のことを知るには、面白い面もある本なのだが。
「1両=30〜32万円」のほか「1文=50円」を頭に入れて読むしかない。

さて、1両は今の何円かについて、山本博文氏が書かれるには、5万円でも6万円でも良いではないか、当時の日本は現代の途上国と同じであり、給料や物価が今の数分の一の安さだったのは当然、という主旨だったが、それはそれで理屈が通っているのかもしれない。
それに関連して思い当たることがある。あるとき、明治末期の1円は今の2万円くらいだろうと私が言うと、ある人がそれは高すぎるといい、その根拠に当時の西洋建築の建築費の例を上げた。べらぼうに高くなるという。これはつまり、明治のころの日本は途上国で物価が安かったが、西洋建築については欧米先進国の物価水準で先進国に支払わなければならなかったということなのだろう。今の途上国も、日本から来た土木事業者に対しては日本の物価水準で支払うことになる。それは例えば現地の巨大な橋の通行料金が日本並の料金になっていたりするので、すぐわかる(バングラデシュなど)。

とはいえ、これだけ米が安くなり、さらに政府はTPPを押し進め、さらにその先もあるというし、今後、米がさらに異常に安くなる日が目に見えている。残念ながら「米の値段に換算すれば……」というのは、もう通用しなくなってしまった。

「1両=約30万円」という1つの尺度が、20年も通用しているのは、今の経済成長が止まったおかげでもある。(昔はインフレというのがあったので、定額でなく米の値段に換算としたわけである)

江戸時代の1文は今のおよそ50円、そば一杯は800円。ちょっと高いかもしれないが、このそばは手打ちであり、原材料はすべて無農薬、輸送に排気ガスを撒き散らさないし、食器も大量生産品ではない。今それらのすべての条件を満たして800円でできるかどうか。
「食料品が高かった」ということもあろうが、物ができるまでには、さまざまな手間が幾重にもかかっていることを考えるようにすれば良いと思う。
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