神話の森のブログ

日本の神話や民俗、また近世農村研究

明治とは何だったかというと


10年来の近世研究もそこそこ進んだので、所謂「近世暗黒史観」の生みの親である明治時代の再評価が必要との観点から、明治維新批判の通俗的な本をときどき読むようになったのは、2〜3年前から。この分野は専門家の本はないようなので、通俗的な本となるわけだが、やはり居酒屋談義的な内容ばかりで、もの足りない。

今年は明治維新150周年だが、先日amazon の Kindleストア で「明治維新」で検索したら、会員は無料で読める本がいくつもあった。原田某氏の本など既に購入済みの本もあったので、もったいないことをしたと思った。

その昔、所謂古代史のトンデモ本を、気軽に買うこともよくあったが、明治維新の本は、時代が近いこともあって気楽には読めない。現政権への不満を過去へ投影しているだけではないかといったことの検証課題だけが山積みになってゆく。

そこで最初のテーマに立ち戻って、所謂 江戸時代暗黒史観はいかにして形成され、広まったのかという問題である。
すぐには結論は出ないので、とりあえず、各論的な分野を考えていくときなどで、この問題につながることがらが現れることを期待するというのが現状である。
たとえば、天保の饑饉について、大凶作の意味で書き記した最初の者は誰かとか、時代ごとの価値観を比較研究したものに触れてみたい。吉原への価値観の変遷については良い研究があったと思う。

そしてこの分野で最も深い洞察を感じたものは、丸谷才一文芸表論集『梨のつぶて』(晶文社)のなかの「津田左右吉に逆らって」などの評論だった。これは津田の日本文学史への批判なのだが、大かたは津田は文学がわからない人間だと取りあげられなかったことに、まともに取り組んだわけだが、意外と難儀な問題に思えた。
19世紀西洋の事象から、都合の良い表面的な部分だけ取り入れて、とにかく形だけは整った学問ができて、以後はそのときの形を頑なに変えないようなものが、通ってしまっているのはなぜか。
津田は、皇国史観とは異なる合理的な歴史解釈だったとそれだけで単純に評価された戦後の一時期もあったが、皇国史観といっても、皇室の歴史のなかの都合の良い部分だけ引き抜いて新たに作り上げたものでしかないという意味では、どっちもどっち。こうして虚無感に浸ることになってしまうわけだが、政治史から離れて取り組むのが、一番良い方法だというのが、とりあえずの結論。
『梨のつぶて』は1966年10月15日発行。翌年の「明治百年」を意識したものだと思う。
(明治百年は、100周年ではなく、改元がなければ1967年が明治百年となるので、そう呼ばれた。)

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