神話の森のブログ

日本の神話や民俗、また近世農村研究

ブログのよしあし


日常の日記や社会問題などの情報サイトというのでなく、
研究ないし趣味のコラムといった目的にとってのブログのメリットとデメリットということです。
本格的なものを作るのならきちんとしたホームページを作るべきなのでしょう。

ブログの良いところは、記事の更新ごとに送信されるPing情報によって、思いがけない人が多数見てくれることです。
また、ある程度しっかり作れば、立ち上げたばかりでもGoogleなどの検索エンジンでヒットし、新規の記事でも数日で検索にヒットします。最近は検索結果の上位はブログばかりになることも多く、あまり有用な情報ではないページばかりなので、検索エンジンも対策を考えているという話ですが、今のところは検索にも有利です。
そのほかリンクの追加など作成上の手間がかかりません。

「玄松子のぶろぐ」さんの例では、ホームページの更新情報をブログで提供する形式になっています。画像一つと短い概略記事があり、ホームページと重複する部分もありますが、カタログ風の導入部として見やすく操作しやすいものになっています。本格的なサイトの各ページへ入りやすいように一つ一つ紹介するブログというのも価値があります。

当ブログのようなコラム集の形式ですと、記事が増えてゆくごとにカテゴリー分類をもっとわかりやすくしなければならないという問題が出てくるでしょう。
「座乱読後乱駄夢人名事典」さんですと、カテゴリーは人名の読みの「あ行〜わ行」となっていますが、世界の国別、時代別といった複合的な分類も可能でしたら更に楽しいものとなるのでしょうが、そういう機能はシステムにはないようです。
当ブログのシステムでは、大分類や小分類といった階層的な分類の機能があり、今は未使用ですが将来は使うことになるかもしれません。

多数の人が見るとなると、コメントやトラックバックへの対応に困ることもあるでしょうが、当ブログでは古事記等に登場する神名がタイトルにある記事についてはトラックバックは管理人が承認したものだけ公開されるような仕組みになっています。いくつか公開されなかったものがありますが、なぜかすべて男性によるものです。『話を聞かない男性、地図の読めない女性』というベストセラーがありましたが、記事をよく読まないで反応する人がいるのでしょう。

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梶井基次郎の日記の「8ヶ条」


ブログとは日記をベースにしたものなのだろうと思う。
作家の梶井基次郎の日記の書き始めの1920年11月4日に、次のようないわば八ヶ条の方針が書かれていた。

一、及第せざるべからず、
 (この程度で満足しないこと)
ニ、常に哲学的考察をおこたるべからず、
三、冗費をなすべからず、
 (無駄、特に文章の無駄を省くこと)
四、健康を増進せざるべからず、
 (梶井が病気がちだったことによるのだろうが、無理はしないほうがいい)
五、風采に拘泥すべからず、
 (見映えについては、今のブログはデザインや画像など考えるべきか)
六、軽薄なる言辞を喋々すペからず
七、常に正義なるべし、誠実なるべし、
八、我が癖をなほすべし、
  曰く、自堕落、
  曰く、他人の意志に迎合すること、

参考になると思ったので、抜き書きした次第。カッコ内は筆者。

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1位(学研「最新人気ブログランキング200」評論専門分野)


学研 最新人気ブログランキング200
購入予定ではなかったが「ジャーナリズム評論専門分野」で当ブログが1位の扱いだったので買ってみた。「……分野」の範囲が広すぎるせいか、類似テーマを扱ったサイトは他には掲載されていない。
学研ムック 最新人気ブログランキング200当ブログはフリーソフトによって独自に構築したものなので、ライブドア・楽天・ココログ等の大手のものと違って最初からのアクセス数が望めないため、blogランキングというところに登録したのだが、それを拾っていただいたようだ。いちおう記念に誌面の画像を貼っておく(クリックで拡大)。
イチイの伝説
(価格:830円 発売2005年9月16日)
「現在、ネット社会を揺るがす話題のトレンド「ブログ」において、人気のコンテンツは何かを有名人・趣味・スポーツ・芸能などの分野からランキング。併せて人を集めるブログを創る秘訣や具体的な工夫・テクニックなどを初心者向けに紹介する。」
"眞鍋かをりの読まれるブログにするための10ヶ条"なども掲載。
YusanのBar -Cocktail Club Always-に選考基準の引用紹介あり。

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「首相のクーデター」と都市のケガレ


今朝の新聞の、雑誌『中央公論』の広告見出しは目を引くものでした。
「首相のクーデター」「二〇〇五年体制の誕生」
そんな言葉に、やっぱりそうかと思ってしまいました。これはつまり都市と地方の対立がすすんで都市部が第1ラウンドで勝利したということなのでしょう。

今回の選挙戦の中で数日前から思っていたことは、国民の新たな対立軸が生まれつつあるのかもしれないということでした。しかもそれは根が深いものです。

明治初年には奥羽列藩同盟と薩長軍の対立のようなものがあったのですが、列藩同盟は結果的に奥羽の大衆の支持を得ることがなかったのです。この戦いを一部には日本の南北戦争だという見方もあり、米国が北軍に味方しつつあったが自国の南北戦争でそれどころではなくなったというものです(星亮一氏の著作による)。それはともかく日本の北軍の敗北は、武士の論理だけで走ってしまったからなのでしょう。
薩長軍は「攘夷」を掲げて内戦を戦いましたが、勝利した後で「攘夷」が実行されたわけではありません。それでもこの「攘夷」というスローガンは下級武士たちの熱狂的な支持を集めました。彼らに攘夷の意味を問うても「そんなことを私に聞いてもわかるわけがない」と答えるのかもしれません。それでも熱狂は継続するのです。

長期に及んだ南北朝時代の対立はどうだったのでしょうか。幕末の攘夷派が南朝を美化しすぎることもあり、本を読んでもよくわからないところが多いのです。南朝の勢力下に新しい商業民の力があったとか、南朝側の九州や東海関東と、他との対立なのか、難しいです。

現代では地方には公共事業で作られたものが多くあり、都市部から批判があります。
地方の主張はこれからどうなるのでしょう。都市は都市でやってくれということなら、原子力発電所は大都市に作れとか、そんなに肉食したいのなら屠殺場もそっちに作れとか、ごみ処分場の問題もそうでしょう。この3つは現代のケガレに関わっている問題です。
日本のケガレ観の歴史をみると、新しいケガレ観が平安京の固定という都市から発生したことは間違いないでしょう。都市部でケガレの処理にあたった部民たちも固定化してゆき、そこに差別が発生したという歴史があります。都市には自身の内部にケガレを浄化する装置が必要なのでしょう、外部に求めてはいけません。近代神道の一部の中にはケガレはひたすら排除すべきものという観念があり、その観念を現実にそのままあてはめると問題が生じます。

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日本風水


平安時代の京都はケガレに関して非常に気を使ったという。極端な例では、親の死に立ち会うと1年間は喪に服す意味で朝廷への出仕ができないので、つとめて親の死に目には会わないようにしていたという。死人が出たとき、同じ家にいなければそれは免れたらしく、また親以外でも死に立ち会っていればケガレを被ることになったらしい。
女の老いた親が病気になれば、その女のもとへは、ぱったりと通わなくなることもあったろう。女への愛情が薄れたわけではないのかもしれない。
ちょっとしたお出かけやら、毎日の行動についても、方位に気をつかったらしい。辻占などさまざまな占いがあったらしいが、風水思想も奈良平安時代に定着していったという。

日本風水風水は中国から輸入され、日本へ来て独自の変化をとげたことは想像されることだが、それについては戸矢学氏の『日本風水』(木戸出版)が参考になる。
桓武天皇の平安遷都も風水の影響が見られるようだが、どこか日本的で、それはやはり「自然との共生」という日本的なものによるらしい。鬼門についても、禁忌というとらえかたはやはり日本のケガレ観によるものなのだろう。同書では、江戸などの都市造りの問題や、地震予知などの話にまで広がっている。

紀伊国屋書店BookWeb 「日本風水」

戸矢氏の風水についてのコラムページも参考になる。

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『歌語り日本史』書評より


歌語り日本史----以下は以前に書かれたものです----
 出雲の八重垣神社に「和歌発祥の地」とした標があり、八俣の大蛇を退治した祭神の須佐之男命の詠まれた「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」の歌が石に刻まれてゐる。この歌を始め、神話時代の歌から現代まで、有名無名の歌の数々とともに、日本史のエピソードを語った珍しい読み物である。
万葉集、有間皇子の歌に「磐代の浜松が枝を引き結び、真幸くあらばまたかへり見む」とあるが、これに関連しておみくじを枝に結ぶ習俗の由来が説明されてゐる。その他さまざまの習俗の説明や、名のある社の由緒の一端にも触れることができる。庶民の歌の多い万葉集に習ってか、近世の民謡や流行歌などが混じってゐるのが面白い。
 明治天皇御製と今の皇后様の御歌が、時代を越えて並べて紹介されてゐたりするのも味はひ深い。
 あさみどり澄み渡りたる大空の広きをおのが心ともがな(明治天皇御製)
 ふり仰ぐかの大空のあさみどり、かかる心とおぼしめしけむ(皇后様御歌)
 日本の歌には、旋頭歌、歌合、連歌など、二つ一組で、さらに別の世界を表現する伝統があるのである。本歌取りといふのも同様の精神なのだらう。
----『歌語り風土記』は管理人が数年前に書いたものです。興味のあるかたは次へメールをどうぞ。クリック

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江戸・物売りの口上、七味唐辛子


江戸売り声百景昔なつかしい物売りの声、豆腐売りや飴売りなどのほか、
バナナの叩き売りやガマの油売りの口上など。
それらをとりまぜて、寄席芸として寄席で演じているのが、宮田章司という人です。『江戸売り声百景』(岩波書店 岩波アクティブ新書)という本も出版されています。
珍しい内容の良い本です。

その中から七味唐辛子売りの口上を引用してみます。
七味とは何を入れるのかの説明にもなっています。

まず最初に入れますのは、武州川越の名産・黒胡麻が入ります、
続いて入れますのは、紀州は有田のミカンの皮、これを一名、陳皮(ちんぴ)と申します、
続いて入れますのは、江戸は内藤新宿八つ房が焼き唐辛子。
続いて入れますのは、東海道静岡は朝倉名産、粉山椒(こなざんしょう)、
四国高松の名産は唐辛子の粉、大辛中辛を決めて参ります。
大和の国の芥子の実が入ります、
最後に野州日光、麻の実が入りまして七色唐辛子。
大辛に中辛、家伝の手法。お好みに応じて調合いたします、
はいどうぞー!

百科事典などによれば他に、シソ、青海苔、生姜などが入ることもあり、七つが固定しているわけではないそうです。
最初は江戸両国の薬研堀の「からしや徳兵衛」が売り始めたものといい、江戸の蕎麦好きには欠かせないものとなりました。唐辛子そのものは豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに輸入されたものといいます。
日本三大七味唐辛子というのもあります。
江戸・薬研堀 七味唐辛子 善光寺・八幡屋礒五郎 京都・七味屋本舗

 青くてもあるべきものを唐辛子  芭蕉

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神話の森・神話浪漫館の構想


7〜8年前に「歌語り」という表現形式に着目して、いくつかの執筆計画を立てた。平成10年に『歌語り日本史』を仕上げて印刷し、『歌語り風土記』『歌語り歳時記』の三部作のうち、『歌語り風土記』は印刷物ではなくweb上へアップしたのが平成14年である。これはひとことでいえば地方神話のカタログである。地方神話の再構成とまではいっていない。
『歌語り歳時記』は一時単独のブログで始めたが、方針を変更してこの『神話の森のブログ』の中で展開される予定。いわゆる歳時記的なもののほか生死の問題や天体気象、動植物そのほか。

ほかに『日本の神話』と題して、古事記と日本書紀を合体させて口語訳で述べて、他の文献で補うというもの。これもweb上にアップして、関連する項目は『歌語り風土記』などへリンクするかたちが良いと思う。とりあえず、ちかぢか古事記の口語訳のみをアップして、あとで書紀の内容を追加してゆくことになる。口語訳の原稿はかなりできているのだが、漢字のよみがなをつけたり、簡単な注釈を付けるのに手間取っている。
さらに個人的に芸能芸術論と創作集なども別に考えている。

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追悼、杉浦日向子さん


杉浦日向子『お江戸でござる』江戸文化研究家、「杉浦日向子さん死去」のニュース。あまりに突然で早すぎる知らせでした。
現代人がほとんど忘れてしまったような、江戸時代の庶民の生活の良き情緒を、生き生きと語ってくれた人でした。"江戸"を現代に近づけてくれた人でした。ご冥福を祈るばかりです。

数日前に書いた「江戸の井戸替え」については、NHKの「お江戸でござる」という番組で杉浦さんが語ってくれたものです。七夕のころ長屋の人が揃って井戸掃除をするという話。そのほか印象に残っている話は……

「飛脚に十両届けてくれと頼んでも、飛脚が持ち逃げすることはなく、泥棒が襲うこともなかった。」……「バチが当たる」ということを信じていた時代です。

「悪い代官はいなかった。」……水戸黄門のドラマは現代の官僚批判でしかないわけです。

「江戸の祭に、大店のくせに寄付の少ない店へは、神輿が突っ込んで暴れた。」……神輿をかつぐのは長屋住まいの人たちで、わかっていたわけです。

画像は、ワニブックス発行『お江戸でござる』という本ですが、ここからですと、「大工、鳶、左官などの職人は、江戸娘の憧れであり、給金も良かった。」といった話。ものを作ることが尊敬されたということです。

検索結果 上原半兵衛道場

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戸矢学『卑弥呼の墓』


戸矢学『卑弥呼の墓』卑弥呼が祀ったものとは

 この書は、類書にありがちな奇をてらったものではない。実地調査の報告部分にもリアリティがあり、また一般向けに神道の基礎知識といった内容の解説を随所に挿入している。若い人が古代史への興味から読み始めて、神道の基礎知識も理解できるようになっている。
 さて女王卑弥呼の邪馬台国は、九州の宇佐地方を根拠地とし、宇佐神宮の祭神の一柱の比売神が卑弥呼であるとすること自体は必ずしも新しい主張ではないが、巫女である卑弥呼は、ではいったい何の神を祀る巫女だったか、という発想から、卑弥呼は御許山の神を祀る巫女で、死後は宇佐神宮の鎮座する小椋山(亀山)に葬られたとする。この山は人工のもので、わが国最初の前方後円墳であるらしい。のち倭国内乱の時代を経て、再び倭国を統一した後継者のイヨの墓は大和(奈良県)の箸墓古墳で、畿内最初の前方後円墳であると。さらに道教や風水思想の観点から古墳の意味にも挑んでいる。
 宇佐神宮の御祭神は、社殿の配置でいうと、向かって左が上位で、ヤハタの神(応神天皇)、比売神、神功皇后の順とされる。しかし中央に祀られる比売神が最も古い神ではないかという。
 思うに、上野国一宮の貫前神社に祀られる姫大神も、古くからの神との伝説があるが、ここでは客神としての経津主神を主神として、姫大神は配祀神とされる。姫大神自身が客の神を祀る巫女の存在でもあると考えられるが、宇佐神宮の場合はいくつかの部族の合同の歴史もあるようで、複雑なようだ。
 邪馬台国宇佐説をとるからには、畿内説への批判に一章を当てるなどしたほうが、著者の立場が理解しやすくなるのではないかとも思った。

……といった書評記事を書いてアップしたのは、3年前のことで、当時Googleの検索で著者名(戸矢学)を検索しても、この記事のページのほか2、3しか出なかったと記憶している。今はかなりの数が出る。インターネットが短期間でそれだけ普及したということだろう。
しかし今はこの書評記事のページが出ないので、サイトの宣伝方法に問題があるとは思うが、あらためてここに掲げてみることにした。この書はAA出版の発行で、現在も入手可能→楽天ブックス「卑弥呼の墓」

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