日本地図

日本地図社会科の地図帳は小学生のころからよく眺めていたものだが、最近はパソコンで見る地図が便利そうにみえる。
ところがパソコンの地図は、検索できるのは、人の住む住所や公共建物・レジャー施設ばかりで、自然の山や川などの名前を検索しようとしても、できない。
ネットのMapFanで岩手県宮古市の「とどヶ崎」を検索したら、ユーザー情報として、どなたかが登録した内容が表示されたが、これは例外のようだ。ちなみに「とどヶ崎」の「とど」は「魚へんに毛」と書く。

そういうときは、やはり地図帳が役に立つ。
画像は、国際地学協会発行の『日本地図』。巻末の索引に、山や川や島などの名前7000余りが掲載されている。ただし、例えば島の名前で、「○○島」という見出しの「○○」の読み方は載せているが、「島」の読み方は省いてある。シマ、ジマ、トウ……、どう読むのかわからないのだが、おそらく索引を作った人もわからなかったのだろう。
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『ツクヨミ・秘された神』

ツクヨミ・秘された神日本の月や星の神様のことはこのブログでもとりあげてきたが、古事記などに登場する月の神さまのツクヨミノミコト(月読命)は、一種謎にみちた神であり、現代人の関心をさそう神である。

戸矢学著『ツクヨミ・秘された神』(河出書房新社)は3月の発行だが、興味をわかせる記述も多い本である。
古事記において三貴子と呼ばれる、天照大御神、月読命、須佐之男命の三柱の神は、それぞれ対等の姉弟のようでもあるが、なぜか月読命だけが事跡や物語を多く持っていない。一方で三種の神器に数えられる鏡・勾玉・草薙剣のうち、鏡は天照大御神に、剣は須佐之男命に縁のあるものだが、勾玉が不明である。勾玉と月読命の関係をめぐって、話が進んでいくわけである。
アマゾン ツクヨミ・秘された神

ところで江戸時代の国学者・平田篤胤は月読命は須佐之男命と同一神だとしたのだが、幕末の地方の知識層には平田国学の影響がかなり大きかったらしく、それ以前の月読命の存在が須佐之男命の名のもとに習合されてしまった可能性のことを考えてみたいと思ったことはあるのだが、なかなか難しいものである。
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消費儀礼について

対談集『歴史の中で語られてこなかったこと』の中の歴史学者の網野義彦氏の発言についての若干の疑問について。
近世の農民の割合が8割以上だというのはウソ、というのはその通りなのだろう。牧畜や養蚕は農業ではない。果樹栽培も農業ではないという。しかし藁の加工品も作らず全く田畑だけで働く人だけとなると、純農民というのはほとんどいなくなってしまうのではないだろうか。よくわからないが、米で年貢を納めた人は農民なのだろうか。
行政的に村という呼称でも実際は都市であることも多い、というのもその通りだろう。

国民の主食として米があまねく行き渡ったのは戦後のことだという。確かに昭和10年以前生まれの畑作地帯の人の実際の話を聞くと、それに近い話を聞く。米は主食としては重要ではなかったという。江戸時代は長屋の住人でも米を食べたというのは、都市民だからだなのだという。(以上『歴史の中で語られてこなかったこと』の話)

しかしここで疑問が湧いてしまう。実際の農民はそれほど数は多くなく、都市民が多かったというなら、米を主食にしていたのは都市民だけにすぎなかった(少なかった)、というのでは理屈に合わない。都市民的な人が多ければ米の消費も多くなるはずである。
実際にどうだったかはよくわからない。確かなことは、江戸時代に日本で生産された米はほとんどすべて日本で消費された。そして大金持ちの商人だからといって胃袋が特別に大きいわけではない、ということである。米はハレの食物だというが、庶民生活では月待ちやら先祖の月命日やらでハレの日はいくらでも有り得たのではないだろうか。

日本では、稲の生産過程でさまざまな神事が行われた。豊作を祈り、人々や地域の安寧を願っての神祭りである。しかしこれらは単に生産に関するだけの祭だといって良いのだろうか。少なくとも新穀感謝の祭は、消費の始りの儀礼に間違いない。さらに生産儀礼のなかにも消費儀礼の要素を見てゆければ良いと思う。

というのは、平成以後のさまざまな社会問題の原因について、現代人は生まれながらの消費者としてこの世に現れるからだという指摘が多いからである。
ある商品を買うという行為においては、子どもも大人も金持もすべてが平等であり、それが子どもや若い人にとっては限りない解放感になり、全てを消費者の目でしか見えなくなってしまう。そういう意味で今の若者はお金にこだわるのであって拝金主義ということではないのだと内田樹氏は言う。消費者は生まれながらの「お客さま」であり、お客さまとして待遇されるべき権利があり、それが少しでも損われたと感じたときに現代人のトラブルが発生するのだと森真一氏は言う。
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日本人論

「兎追ひし彼の山」と歌う文部省唱歌の「故郷」は良い歌だと思う。「志を果していつの日にか帰らん」とも歌う。そこでふと思うことは、志を果たせなければいつまでたっても帰れないのだろうかということである。日本の望郷の歌は、どうもそんなところがある。帰れなければ須佐之男命のように罪を背負って永久にさすらうだけである。ある詩人は日本文学は「さすらい」の文学だと言う。

アメリカの歌謡では、こんな歌詞もある。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B08552 (思い出のグリーングラス)
あちらには都会で夢破れても暖かく迎えてくれる故郷があるようである。日本の現代の若者は、どのような気持ちでこの歌を聞くのだろうか。アメリカ民謡ではこういう類の歌詞は多いようである。

日本人は、「落ちこぼれ」に対して、見て見ぬふりをしたり、時には冷酷になることがある。いじめを受けている人を見て見ぬふりをするのは、現代人が薄情になったからではなく、昔からそうだったらしい。そういう日本人だから、歴史上の為政者たちは、人々の平等ということに神経を尖らせて来たのだろう。安土桃山時代や幕末に日本に来た欧米人の見た日本社会は、天皇も貧しい食事をし、殿様も同様で、江戸時代の士農工商からあぶれた人たちにも特別な保障がされていたと記録される。

「時には冷酷になる」とは、極端な例では、旧軍隊の捕虜に関する対応に、顕著に見られる。
「西欧の軍隊ならば、最善の努力を尽くした後に、衆寡敵せずとわかれば、敵軍に降伏する。彼は降伏し[て捕虜になっ]た後もやはり名誉ある軍人と考えており、その名前は、彼らの生きていることを家族に知らせるために、本国に通知される」(Rベネディクト『菊と刀』)
日本軍では捕虜になることは最大の屈辱であって、故郷の人々に顔向けができないと考えた。それで結局、討ち死にやら自決ということになる。戦陣訓の「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」ということが徹底的に教育されたかというとそうではなく、山本七平によれば入営以来皆で戦陣訓を唱和することもなく、日本人の自然の感情だったらしい。現代の地方自治体が天文学的な大赤字になるまで赤字は公表しない、企業の不祥事も外から暴露される直前まで発表しないのと、なんら変るところはない。
日本の軍隊には救護班や医療システムも軽視され、兵隊たちは軽傷なら民間療法に頼り、重傷なら見殺しにするしかなかったらしい。
日本では、非業の死をとげた人が神に祀られることがあるのは、見殺しにしてしまったことへの贖いの意識があるためなのだろう。

日本人のこういうところは簡単には改まらないだろう。だから政治経済面で破滅的な事態にならないように政治システムで細かく補ってゆくしかないだろう。大企業が「国際競争力」を最優先させることは間違いだということである。
どんなことについても長所と短所は表裏一体のものである。海外からも賞賛されているような日本の美意識も、どこかで日本人の限界とつながっていると思うが、悪いものではない。日本の皇室が一貫して日本の政治経済のリーダーではなかったように、世界の中の日本人が皇室以上の存在になることはありえない。日本人の自然観やら日本文化の良さを日本人はもっとしっかり身につけておくべきだろう。

(以上、昨年ごろから、”日本の危機”といったテーマの新書判を多数乱読しての感想を書いて見た)
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折口信夫の特集番組

中沢新一氏のテレビ講話「私のこだわり人物伝・折口信夫」の第2回「まれびと」を2日のNHK(再放送)でやっていたのが、面白かった。

中沢氏は、古代の神の姿について、柳田国男と折口信夫の見方を比較して語る。
柳田国男は、「神は共同体をまとめる存在」であり、共同体と共通のものをもった内部的なもの、すなわち祖霊であり、祖霊こそが神の原型であると考えたという。
折口信夫は、神は共同体の「外側からやって来て共同体をゆさぶるもの」だと考えたという。どこから来るかというと、常世、あの世というところで、そこは魂の原郷であり、その「あの世とこの世の通路を開く存在」が神だと考えたいう。

常世やあの世に住んでいるのが祖霊、と考えれば、それほど違いはないように思えるが、「ゆさぶる」とはどんなことだろうか。
「共同体をまとめる」とするなら、日常ではまとまっていない人々を前提にしているようで、近代の話のようでもあり、それだけでは確かに不十分のように思えるが、柳田国男がそうだとはわからない。話をわかりやすくするための誇張とは思う。

中沢氏の話に戻ると、「なぞなぞ」の話が出る。たとえば「目はあっても見えないものは何?」、答えは「ジャガイモ」。目と芽という同音の言葉が結びついて、喜びと笑いがこみあげる。こうしたなぞなぞが「最も古い文芸」であり、この考え方を宗教に適用したのが、折口の見方だという。
つまり、異質なジャガイモが現れて「ゆさぶられ」、しかし異質なものどうしが結び付けられることによって、新たな感情が起こる。こうした異質な体験は、外から来たもので、その力が「まれびと」なのだという。

なるほどと思う。外来のものを有難がりすぎる日本人の悪い面もここから来るのかと思ったが、それはともかく、最も古い文芸に「笑い」があったとは、数十年来の私の疑問にヒントを与えてくれそうだと思った。
人々と祖霊とが異質になってしまった状況を考えれば、柳田と折口の違いも大きなものではないと思う。

中沢氏の話のまとめは「死とのふれあいを遮断しようとする社会」が宗教的な感情を遠ざけているということ。
どうしたら近づけるだろうか悩んでみたが、「老いる」ことで少しは近づけるだろうという簡単な答えが一つ出た。若者文化の持ち上げすぎといったことを見直すことも必要かと思う。

●中沢氏の書くものには管理人は関心は抱いてこなかったのですが、専門分野が重なる有名人のようで、この人だけを取り上げるのは、誤解を招くかもしれませんが、この記事で折口信夫を取り上げてみたかったわけです
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"深層水「湧昇」、海を耕す!"

長沼毅10月中に発行された本で、"深層水「湧昇」、海を耕す!"(長沼毅著・集英社新書)を、楽しみながら、また感心しながら読んでいる。
「100億人を養う海洋牧場時代がやってくる」「食の糧を海に求める壮大なロマン」と紹介されている。

折りしもマグロ漁獲量削減の問題が持ち上がったとき。人類の食糧は陸地の田畑ではまかなえなくなり、生命の故郷である海に向わなければならないというのは本当にそうなるのだろうと思う。

日本の神話物語でも、須佐之男命は海原を支配し、同神説もある月読命は「夜の食国(おすくに)」を支配したという。「食国」とはどんな意味だったろうか。
また海幸彦と山幸彦の話では、海底には海神宮(わたつみのみや)や竜宮があるといい、常世国へ旅立った幾柱かの神々の様子は、常世国が海の果てにあったように描かれる。大祓の祝詞では、海底にある「根の国・底の国」が全ての罪と穢れを清めてくれるという。

さてこの本の見出しを拾うと、「森は海の恋人」「大陸移動がクジラを生んだ」「どこでもドアの意外な盲点」などという言葉が見える。
海や海流などにまつわるさまざまな伝説や小説から漫画にいたるまで引用されている。第3章の最後には、瀬戸内海の「浮き鯛」について書かれ、当ブログ関連サイトの「神話の森、歴史と民俗館」が紹介されているのは、嬉しい限りである。
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週刊百科雑誌

大判で30ページくらいでオールカラー、毎週買い揃えると本格的な専門百科事典のようになりそうな雑誌を、書店でよく見かける。中高年向きの教養シリーズのようなテーマが多いのだが、有名神社探訪のシリーズを買い始めたある人が、途中で飽きてきたようなことを書いていたのは、内容に新しさがないからなのだろう。
創刊号だけ半額低度の値段で売っていることも多いので、あるCD付きの童謡唱歌シリーズを一冊買ったことがあるが、掲載写真は郷愁とは別のリアリズムに満ちたもので、あまり良いものではなかった。あまり期待できるものはなさそうな気がする。

昭和30年代にブームだった画報雑誌は、文章はダメだが、写真は良いものが多く、山田書院の『伝説と奇談』シリーズなどには古い錦絵もふんだんに載っていて大事にしている。同じような内容で昭和40年ごろにリメークされてハードカバーとなった『日本の伝説』は、新しい専門家の解説などは良くなったが、巻頭のカラー写真は、石仏や人物の接写写真が多く、良いものではない。黒い影の部分やごつごつした部分、一部の赤色などが強調され、その時代の写真家の好みなのかと思った。映画でもやけに顔のアップの多いものが流行った時代である。大きな写真で万葉の名歌を訪ねるにしても、そのような写真のイメージでは、今では違和感があることだろう。音楽でもモーツァルトよりベートーベンやシューベルトの人気のほうがずっと高かった時代である。

10年以上前の「週刊朝日百科 日本の歴史」シリーズは、中世史をはじめ最近の有力な学説などが次々に紹介されて良かったので、古本屋でバインダー付きの揃いのものを買ったら、1冊50円くらいの計算だった。
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『古事記の本』(学研)

古事記の本倭建命学研の新刊「ブックス・エソテリカ」シリーズ(40) の『古事記の本』は、古事記に関連する古代史や比較神話学などについて一般的に書かれたもので、叙述内容はごく平均的なものだが、この手の本の性格からして全ての事項について見落しなく充分広くというわけにもいかない。

しかし、挿し絵が豊富で、神宮徴古館の所蔵絵画などにまじって、これまで滅多に取り上げられなかった絵画や図版が多く使用されているので、それらを見ているだけで、絵が描かれた時代のとらえ方を思ったり、感心したりしている。

昔の木版などの刷り物の絵も、従来は色がかすれていたりぼやけた画像の印刷が多かったが、最近のコンピューター処理によるものなのだろうか、この本では実に鮮明な画像として見ることができる。
下の右の画像は楡山神社所蔵の江森天寿画『日本武尊(やまとたけるのみこと)』(同書より)
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少年時代の三冊

岩波新書『日本語の起源』(大野晋著、第一版)を読んだのは、高校生のときで、夢中になって一気に読み切ってしまった。後に出た「第二版」は、まったく書き改められてタミル語との関係が述べられたものだが、第一版は朝鮮語との比較などが述べられていた。記憶はあいまいなのだが、東日本と西日本の違い、縄文文化と弥生文化などについても書かれていたように思う。
大野氏の『岩波古語辞典』は今でもなかなか手放せない。狭山事件の脅迫状の「国語力」の鑑定をしたり、埼玉の稲荷山古墳出土の鉄剣の文の解釈ではワカタケル大王とは欽明帝ではないかという発言なども興味深かった(今の通説では雄略帝説が強い)。

中央公論社の『日本の歴史1神話から歴史へ』(井上光貞著)も高校生のとき刊行まもないころで、何度も読んだ。かなり話題になった本らしく、今は中公文庫になっていると思う。しかし最初の本は古本屋の値段が良かったので売ってしまった。

小学生のころのもので、楠山正雄『日本童話宝玉集』も、繰り返し読んでいた。日本の昔話や伝説などの再話である。その後、講談社学術文庫といういかめしい名前のシリーズで4分冊で再刊されたのも購入した。楠山正雄は青空文庫でも少し読める。
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『日本歴史伝説傑作選』(学研ムック)

kessaku.jpg学研ムックといえば昨年9月16日の『ブログランキング』のことを思い出すのだが、平成14年発行の『日本歴史伝説傑作選』。「語り継がれてきた昔のこころ」という副題で、34話のエピソードが紹介されている。
「歴史ってこんなに面白かったっけ?」という表現に、なんとなく「ブログランキング」での当ブログへの評価文に似たニュアンスを感じた。それはつまり、最近多い怨霊やら策略政治の視点からの歴史読み物などに、今の若い世代の人が少し飽きてきて、ちょっと古い本を調べたら、もっと興味深い話がたくさんあり、そういった物語に新鮮な驚きを感じたということではないだろうか。

全34話のうち、奈良・平安時代の話では、役行者、中将姫、弘法大師、小野小町、菅原道真、安珍・清姫(道成寺)、平将門、安倍晴明、酒呑童子、安寿姫と厨子王、源頼光の話。
孤高の英雄の話や、古い信仰の奇跡のような話が目立つ。

当管理人としては、これらのほか、文学や芸能や職能について見落とすことはできないと思うので、東国を旅した在原業平、琵琶法師の蝉丸、木地師の祖とされる惟喬親王の話などを追加したいところである。
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