鳥装の人と神

日本書紀神代上巻によると、大国主命の前に現われた少彦名命は、
「白斂(かがみ)の皮を以て舟に為り、鷦鷯(さざき)の羽を以て衣にして、潮水の隨に浮き到る。」
とある。鳥の羽を着ていたわけである。(ヤマカガミ=白蓮 鷦鷯=ミソサザイ のこと)

神武天皇の東征のとき吉備国を出発すると、
「亀の甲(せ)に乗りて、釣為つつ打ち羽挙(はぶ)き来る人、速吸門に遇ひき。」(古事記)とある。
羽ばたいていた人に出会ったわけである。

神功皇后が熊襲を討とうとしたとき、
「荷持田村に羽白熊鷲といふ者あり。……身に翼ありてよく飛びて高く翔ける。」といい、大和に従わなかったという。翼があって実際に高く飛んでいたということは、鳥人なのかもしれない。

清水風遺跡各地の弥生時代の遺跡から出土した土器などに、鳥装の人の絵が描かれる。
奈良県田原本町の清水風遺跡出土の土器片に描かれた巫女と戦士の絵のスケッチがある。
右の楯を持つ戦士像は、頭に羽根をつけ、足の指が3本に見える。
左の巫女像は、大きな羽根をかざしている。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/005/re_005_040529.htm

『鹿と鳥の文化史』(平林章仁)によると、鳥装のシャーマンは世界中に広がって存在したという。ヨーロッパの伝説をもとに作られたというモーツァルトのオペラ『魔笛』にもパパゲーノという森に住む鳥装の人が登場することを思い出した。鳥が死後の世界と行き来できたように、鳥装のシャーマンも、あの世とこの世を行き来できるということなのだろう。
上記URLの解説では、穀物の種を運ぶ鳥や、鳥が餅に化ける伝説の話から、穀物の豊穣との関連を中心に述べているが、葬儀や戦争そのほかにも鳥装の人が深く関わっていたようである。
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鳥霊について

以前にもふれた吉成直樹著『俗信のコスモロジー』から抜き書きしておいたもの - - -

幼児の死を「トリツバサになった、トリツバサにする、鳥に飛ばす、鳥が飛んだ」という。
幼児の葬式は簡単に済ませ、祭はせず、墓にも埋めない。早く別のものに生まれ変わってほしいから供養はしない。

鳥は異界との間を往復する。人は死後に鳥になると信じられた。
古墳の副葬品の鳥形木製品、鳥の埴輪土製品、魂を乗せて飛び立つ。
福岡県鳥船塚古墳の壁画に 船の舳先に鳥。鳥取県では 鳥装の舟人。(天鳥船)
天稚彦の葬儀でのさまざまの鳥の役割。日本武尊が白鳥になったこと。

葬式の次の晩に盆に灰を敷き、翌朝には灰の上に鳥の足跡がつく(蛇、蝶、人の跡とも)。これによって死後に鳥になった、蛇になったと占う。
盥に水を入れ、親族それぞれが笹舟を浮かべ、どの笹舟に乗ってあの世へいったかを占う。天鳥船である。

産屋を鵜の羽で葺き、全部葺かないで残しておくのは、鳥の霊を招き入れるため。
人は生まれる前も鳥だった。今でも生まれてすぐの子の死で鳥になるとされることがある。幼児はいつでも生まれる前の姿に戻ってしまう。

間引き 生まれてすぐ首を絞め、泣いたらトリツバサになる、泣いたら人間になるので絞められないという。
正月に死んだ女は七人ミサキになる。七体の人形とともに埋めて供養する。
鳥のほか、蛇や犬を、自らの先祖とする家系がある。

子供が死んで鳥になる昔話は多い。小鳥前世(分類名)、「馬追鳥」「山鳩不幸」。
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