キッズgoo

キッズgoo というサイトでは、webページを子ども向けにルビをふって表示してくれる。
http://kids.goo.ne.jp/cgi-bin/kgframe.php?BL=0&SY=0&MD=2&FM=0&TP=http://nire.main.jp/rouman/fudoki/index.htm
実際は間違いのルビも多く、じゅうぶんなものとは言いがたいのだが、アクセスは少なくない。一般的な地名の読み方などは大人が使っても参考になるかもしれない。

さらに、子ども向けとして不適切とされた用語を含むページは表示しないようになっている。「歌語り風土記」の項目590ページのうち、60ページがNGだったので、書き替えられるものは書き替えてみた。
どんな用語がNGだったかというと、やはり差別と性に関連するものである。
訂正した用語は次の通り。

[別語で言替え]  部落 朝鮮征伐 妾 狂女 白痴 殺した 自殺した 美少女 幼女 禁を犯して 秘密
[ルビを指定する]  阿保(地名) 三ヶ尻(地名) 女体山 乳 逆鉾 貝合せ 妹(いもうと、いも)
[漢字表記にする]  ちちぶ 「身はくち人に」 たまたま
[かな表記にする]  覗き
[一部をかな表記に]  人妻
歴史的仮名遣の「なほも」を「更に」に書替、たぶん「〜なホモ」との解釈だろう

妹がなぜいけないかというと、和歌で「妹に恋ひ」は「いも」とルビをふらなければ誤解を招くからということなのだろう。貝合せとか秘密とか、よくわからないのもある。

文章の量のわりには訂正箇所は少なかった。沖縄のページで「遊郭」を言替える適当な語が思いつかなかったので、そのままになっているところがある。

★追記 沖縄県のページは「ゆうかく」とルビをふったら通りましたね。なんでもこれで通るのかも(現在のところは)。
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つくもの物語

どこからメモしておいたのか忘れたが……たぶん『国文学』という雑誌かもしれない……、「つくもの物語」という話。

よく熟した柿が一つある。動物たちが集まって、誰が食べるべきか話し合うが、年齢の高い者が食べるのがよいということになった。
鷺は、「みそさぎ」といって、三十。
鴫は、「よそしぎ」といって、四十四。
鳩は、「やへはと」といって、八十。
蜘蛛が、「百年に一年足らぬつくも(九十九)」といって、一番となって柿を食べたという話。

意味はよくわからないのだが、イソシギやイヘバトなら今の辞書に載っている。

 百年に一年足らぬつくも髪。我を恋ふらし。面影に見ゆ  伊勢物語

この歌は白髪の老女に恋われた在原業平が詠んだものである。
「つくも」とは「つくも草」のことで、老女の白髪のように見えるらしく、そこから老女の白髪を「つくも髪」というのだそうだ。
「つくも」は「つぐもも(次百)」の縮まったもの、次が百とは、九十九のことだから、九十九と書く。百に一つ足りないというわけで、百という漢字から一を除くと「白」となり、白髪のこと。さて草の名が元なのか、漢字の白が元なのかよく解らない説明だ。
九十九才のお祝いは白寿である。「お前百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪のはえるまで」とは女性の歌う民謡である。「共白髪」とは結納品で麻緒をたばねたものをいう。

美男で知られる在原業平に、老女が恋するとは奇妙な話かもしれない。しかし老女の恋は、古事記に、雄略天皇に恋した引田部の赤猪子(アカイコ)の話がある。赤猪子は志都歌(しづうた)を歌う巫女で、雄略帝を若返らせる歌を詠んだ。在原業平の色好みというか若々しさも、つくも髪の老女によって祝福されたものなのだろう。
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新嘗祭、勤労感謝の日

今年の秋も終ろうとしています。
実りの秋、味覚の秋、といわれるように、秋は新米を始め、さまざまな収穫物や食物に恵まれる季節です。それらの中には冬を迎える前に加工され保存食とされるものもあります。
今年の新米がとれたとき(または購入したとき)、最初に神棚や仏壇の先祖さまにお供えし、その後で家族でいただくという習慣は根強くあると思います。米以外の季節の初物なども同様です。そうやって今年一年の「実り」を感謝し、来年のしあわせを祈るわけなのです。

そうした家々の祭りを、さらに地域で集約して行なうかのような神社の祭礼が、新嘗祭(にいなめさい)です。春に五穀豊穣を祈り、秋に感謝の祭を行なう、そうしたお祝いごとは、もともと大勢で集まってお祝いするものだからです。
11月23日は戦後、「勤労感謝の日」という祝日に定められました。それより以前は「新嘗祭」というそのままの名称の祝日でした。

この日の夕刻過ぎ、宮中では天皇陛下が御自から今年の稲の初穂を皇室の先祖の神々に捧げられて、国民の幸福を祈られ、未明まで続けられるお祭りがあり、これも新嘗祭と呼ばれます。このとき天皇陛下も、神々にお供えされたいわば新米をいただくというお話です。
皇室の新嘗祭もまた毎年行なわれる行事なのですが、御即位の年の新嘗祭は特別に大嘗祭(だいじょうさい)と呼ばれ、最も重要な祭であるとされています。
次の御製は陛下の皇太子時代、昭和天皇の新嘗祭に際してのものです。

 神遊びの歌流るるなか、告文(つげぶみ)の御声聞こえ来(く)。新嘗(にひなめ)の夜  御製

大嘗祭は「おほにへのまつり」ともいい、「にへ(ニエ)」とは、初穂を神に捧げること、または捧げたもののことです。
「にひなめ(ニイナメ)」の意味には諸説がありますが、「にへの忌み」が縮まったものだろうというのが折口信夫説です。忌みとは祭のために夜通しお籠りすることをいいます。

 誰そこの屋の戸押そぶる。新嘗(にひなひ)にわが兄(せ)を遣りて、斎(いは)ふこの戸を  万葉集東歌
(誰が戸を押し叩いたのだろう、新嘗の祭にわが夫は出かけて、家では妻の私が籠って祭をしいる、その戸を叩いたのは)

万葉集のこの歌では、家で戸締まりをして妻が祭をしていたのですから、戸を叩いたのは神、先祖の神だろうということになります。
常陸国風土記の(三)筑波郡の項にも新嘗の夜に先祖の神が、富士山や筑波山の神のところを訪れたという話があります。
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美少年の伝説

日本の女性の伝説では、きっと皆神事にあづかった女性たちだろうということでしたが、伝説物語の中の少年については、神仏に深く関った少年たちであったことが、よりはっきりしています。

近江国の愛護の若は、死後に日吉(ひえ)山王権現として祭られますが、継子いじめの話あり、多彩な職能民も登場する波乱万丈のドラマです。

江の島絵葉書山王権現の申し子といわれたのが江戸向島の梅若塚の伝説の梅若です。
同じ梅若という名の少年が登場するのが秋夜長物語(あきのよのながものがたり)で、近江の三井寺や比叡山が舞台のドラマチックな筋立です。
江戸の梅若とよく似た話が常陸国桜川の桜子です。

紀州の高野山の石堂丸の伝説も、哀れではありますが美しい物語です。
以上の少年たちは寺の稚児だったのですが、相模国、江の島の稚児が淵の白菊の伝説もよく知られます。(画像は江の島の古い絵葉書)

いづれも中世ごろの話で、神仏習合時代になって、古代の女性の伝説に並びうるように盛んになっていったようなところもあります。源義経の伝説も美少年の物語でした。
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逆さ言葉の「入間様(いるまよう)」

『入間川』という狂言がある。
ある殿様が武蔵国の入間川まで来て、川を渡ろうと思い、土地の者に浅瀬はどこかと聞くと、ここは深いと言う。殿様は、場所が入間なので入間様(いるまよう)の逆さ言葉なのだろうと考え、本当は浅いのだろうと川へ入ると、深みにはまってしまう。
びしょぬれで岸に上がった殿様は、怒って男を成敗しようと言い出すが、男が言うには、「成敗」とは入間様なら「助ける」という意味だと喜んでみせる。殿様はそれを面白がって、褒美を与えるが、褒美を与えたことも入間様だと言って取り戻すという話。

こういう逆さ言葉、アベコベの言葉は、子どものころの遊びで、よく言い合って遊んだことがある。

16世紀に書かれた『廻国雑記』という紀行文に入間川の逆流のことが書いてあったのだが、紀行文の作者は、川が逆流すると言われて信じたのだろうか、と思ったが、そうではないともいう。
入間様は「入間詞(いるまことば」ともいい、「大辞林」には「入間川が逆流することがあったので名づけられたとする説もある」と書かれる。入間川の逆流のほうが元だというわけである。

「廻国雑記」は、入間川が逆流する話を載せ、それも一理あるといい、入間詞について「申しかよはす言葉なども、かへさまなることどもなり。異形なる風情にて侍り」と書く。
つまりは入間詞があるくらいなのだから、川も逆流するのだろうというわけなのだが、川の逆流の話は伝聞のようである。となると、やはり逆流より入間詞のほうが元であって、あるいは特殊な方言が通じなかった経験から話が拡大していったようにも思えるが、よくわからない。
「廻国雑記」の作者の道興の歌は、良い歌である。

 立ちよりて影をうつさば、入間川、わが年波もさかさまにゆけ  道興

歌だけをみると、川が逆流しているのを見て詠んだようにも見えるが、紀行文の本文を見れば、そうではない。歌というのはそのように作られるものでもある。
しかし逆流する川があっても良いかもしれない。各地にある「逆川(さかさがわ」という地名については、どうなのだろうか。
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美しく儚い女性たちの伝説

古代の美しくはかない女性たちの伝説といえば、万葉集の高橋虫麻呂の長歌に歌われた、葛飾の真間の手児奈の伝説と、生田川の伝説をまづ思い浮かべる。「歌語り風土記」では、長歌の部分を口語訳し、反歌を添えて歌物語ふうに仕立ててみた。

真間(まま)の手児奈(てこな)は「水汲み女」だったと言われるが、折口信夫が「最古日本の女性生活の根柢」の中で述べるように、「並みの女のやうに見えてゐる女性の伝説も、よく見てゆくと、きっと皆神事に与(あづか)った女性の、神事以外の生活をとり扱うてゐるのであった。」ということである。汲まれた水は公の神事での禊(みそぎ)のために使われたのだろう。水汲み女は神事の主役の貴い人の禊の一切に関わった女のことなのかもしれない。

 葛飾の真間の井見れば、立ちならし、水汲ましけむ手児奈し思ほゆ  高橋虫麻呂

生田川の伝説の菟原少女(うなひをとめ)も、長歌に「虚木綿(うつゆふ)の隠もりてませば」とあるように、そのような女性として少女時代を過ごしたことが歌われる。

 葦の屋の菟原少女が奥津城を、行き来と見れば、ねのみし泣かゆ  高橋虫麻呂

「歌語り風土記」からもう一つ探すとすると、秋田のふき姫の話だが、この話はそんなに古い時代のものではないような印象である。恋愛物語ではなく親孝行の話であるが、土地の名産品の由来の話になっているところは、たとえ近代ないし近世の新しいものではあっても、伝説としては説得力があると思う。
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ことばの言い替え

上のブログタイトルの下に「日本語などについて」とあり、一つのテーマです。このブログでは、古き良き言葉をたどるとともに、現代の日本語の問題点についても考えます。問題点とは、じつは若者言葉の多くは日本語史の流れからみて大きな問題はなく、官僚や企業、マスコミ用語に多くの問題があるという話になると思います。

さて最近耳にした「認知症」という言葉、認知症の老人とはボケ老人のことですね。差別感を危惧しての新語なのでしょう。本来なら認知障害としないと意味が通じないのですが、認知症と言替えたのでしょう。こういう言葉もある程度はやむをえないのでしょうが、最近はあまりに多量過ぎます。

ある程度やむをえないとは、日本語では忌むべき言葉を言い替えたり遠回しに言う言葉が多いからです。

今は駅などでもトイレという表示ばかりになりましたが、お手洗いその他、どんどん言い替えられて死語のようになった言葉がたくさんあります。古い言葉では厠(かはや、カワヤ)という言葉。ただし1300年前の古事記にも厠という漢字が出てくるのですが、後世の訓で慣習的に読んでいる可能性があるかもしれません(詳細については調べていませんが)

腰という言葉は今では腰骨の周辺のあいまいな部分をいいます。古代では細腰というようにウエストの意味だったのです。今の腰骨の周囲を呼ぶ言葉もあったのでしょうが、その言葉は嫌われて死語となったのでしょう、その部分から少し離れた部分を意味した腰という言葉で代用するようになりました。性的なものを連想する言葉が言い替えられたのでしょう。古事記には性的な表現が多いのですが、これらも後世の訓で読まれたための可能性があり、「大らかな古代」についても少し差し引いて見なければならないと思います。

ネズミをヨメと言い替えた話は10月10日の記事に書きました。ネズミを神の使いまたは神そのものと見て、忌々しきものと考えたからでした。神さまの名前を口にすることを忌んで、長い年月のうちにその名を知る者が誰もいなくなって、学者の知恵で再び名づけられたような例もあります(しかしそれで信仰の形が変わったというわけではありません)。

人を呼ぶのに、他人や格上の人の実名を呼ぶのは非礼だという感覚は今でもありますが、そういう場合に「部長」などの職名で呼ぶ場合があります。単なる職名の言葉なのですが、常に「格上」という感覚がつきまとって最近は「敬称」とまで意識する人が増えました。やや敬語法の混乱を招いている嫌いもあります。

★神や人の名前・所有物、性的なもの、排泄に関するもの、など、どの時代の言葉でもそれより古い時代の言葉が言い替えられたものであることが多いわけです。
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こぶとりじいさん

数日前に見たテレビアニメの再放送「日本まんが昔ばなし」の「こぶとりじいさん」は出来の良いものだったと思う。
野村敬子氏の書いたもの(平凡社世界大百科事典)であらすじをおさらいしてみる。

「頬にこぶのある爺が,山中の洞穴で雨宿りするうちに鬼・天狗の酒盛りに迷い込み,舞や踊りを披露して鬼などの歓心をかう。再び来る約束のためにこぶを取られるが,爺は大喜びで帰る。 それを隣の爺が真似する。しかし舞や踊りがへたであったので鬼は喜ばない。質ぐさに取った前の爺のこぶまで付けられて,泣きながら帰る」

アニメの話では、じいさんが雨宿りをしたのは洞穴ではなく大きな木のウロの中で、そこでうとうと居眠りをしたのだった。昔話の細部には異伝が多いわけである。鬼の酒宴は夜明けの鶏が鳴くまで続いた。

母なる大樹の懐の穴に、翁はからだを胎児のように丸めて居眠りをしていた。「鶏が鳴いたら神は帰らなければならない」と言われるように、鬼たちは遠い昔の神々のようでもあり、翁は里人を代表してウロの中でおこもりをして、祭にそなえたのである。何か古い祭祀の形をそのまま伝えているような話だった。
おこもりをして翁は生まれ変わった。それが証拠に、こぶが取れている。こぶとは皮膚にふりかかった災いのことだろうし、こぶが取れるとは脱皮することでもあるのだろう。

日本人は肌のみづみづしさにことさらこだわってきた人種かもしれない。もちろんそれは、現代の日本人女性の中にもはっきりと受け継がれているが、男性たちも美容以前の問題で昔はかなりこだわったのかもしれない。

こぶとりじいさんの話は、最近ブログに書いたテーマといくつか結び付くものがあるような話だった。
ウロの中が異界に通じているような話でもあった。
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神話はロマンか?

神話はロマンだと言う人も多い。はたしてそうだろうか。

このブログの本館サイトの「神話の森・神話浪漫館」の名を「神話の森・物語と民俗館」に改称した。浪漫館とは語呂の良いことばだったが、その言葉の軽さは当初から気になっていた。

和歌と民俗学を基軸とした人々の信仰の問題へのアプローチ、その信仰は共同体的の性格をもつものであること、そうしたことが主要なテーマであり、語り継がれる形態は歌物語として、今に書かれる散文も類似的でなければならない、ということだった。この歌物語が神話と呼べるものである。

神話はロマンであるかもしれないし、そうではないかもしれない。
少なくとも古代をユートピアのように言うのは間違いだろう。江戸学の話を聞いていても、江戸は本当に温かみのある人間味豊かな理想的な社会であったかのように思える。それはつまり、現代に忘れかけていたものを思い出させてくれた感動のことなのだろう。過去にユートピアがあったのではなく、現代の心にも通じるものが何百年、あるいは千年以上も続いていたことへの感動であり、それを称してロマンというなら、悪いことではない。あるいはどの時代においても人は悩み苦しみ、そこから時代を越えて感銘しあえる文化を築いてきたのかもしれない。
しかし通じていたと思ったら通じていなかったこともままあるのである。
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大国主命の父母と乳母

まもなく立冬、冬の更衣えのことは重陽の節句のところでも書きましたが、この季節に「玄松子の記憶」というサイトを見ていたら石川県輪島市の重蔵神社の記事に、
  天之冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)
という名の神が祭られているとありました。
重蔵神社は今は「じゅうぞう」と読みますが、もとは「へくら」だったともいい、能登半島の真北50kmほどのところにある舳蔵島(へくらじま)の神との関係が言われているようです。重蔵神社の主祭神は、天之冬衣命と大国主命になっています。

古事記によれば、天之冬衣命は須佐之男命の五世の孫にあたり、大国主命の父になります。本居宣長以来、出雲の日御崎神社にまつられる天之葺根命(あめのふきねのみこと)と同一神とされ、草薙の剣を天照大神に届けた神といわれます。大国主命の母は、刺国大神の娘の刺国若姫(さしくにわかひめ)。刺国の意味は不明。ちなみに北海道の江差(えさし)の言われはアイヌ語の岬の意味のようです。

大国主命の別名が大穴牟遅神(おほなもちのかみ)です。
若き大穴牟遅神が八十神たちに迫害されたとき、八十神たちは大木の幹を裂いてその中に大穴牟遅神のからだを挟み、大穴牟遅神は圧死してしまったのですが、そこへ御祖命(みおやのみこと)が駆けつけ、大穴牟遅神を救いだして生き返らせ、紀伊国の大屋毘古神(おほやびこのかみ)の所へ逃れさせたという話があります。参照木の下の神話 この御祖の命が、母神の刺国若姫のことだろうといわれます。

それより前にも大穴牟遅神は、八十神たちに真っ赤に焼かれた猪の形の大石を突き落とされ、焼け死んでしまったのですが、御祖命と高天原の神御産巣日之命(かみむすひのみこと)のはからいで、蚶貝姫(きさがひひめ)と蛤貝姫(うむがひひめ)が遣わされ、生き返ることができたのでした。そのとき蛤貝姫は、母の乳汁を大穴牟遅神のからだに塗って蘇生させたということです。
ウムガヒヒメのウムとはウバと通じ、二人の姫は大穴牟遅神の乳母だったようです。岡山県阿哲郡大佐町永富の湯児神社(ゆこじんじゃ)の境内社・乳母神社(ちぼじんじゃ)に、支佐加比比売命(きさかひひめ)宇武岐姫命(うむきひめ)の名で祭られています。

鳥取県日野郡日野町根雨の根雨神社(ねうじんじゃ)の境内社・十二所権現には、以上の四柱の神がそろって祭られています。ある史料では次のような順に書かれています(カッコ内は筆者)。
 蚶貝比売神  (3 叔母?)
 天之冬衣神  (1 父)
 刺国若比売命 (2 母)
 蛤貝比売神  (4 叔母?)
おそらく実際の神座の向かって右から順番に縦書きで記録したものと思います。中心に近い向かって右の位置が一番の上座で父神、次に母神の順です。神話や古代の物語では、乳母は実母の妹であることが多いので、蚶貝比売神と蛤貝比売神は、刺国若姫の妹たちだったのだろうと想像できます。
蚶貝姫と蛤貝姫画像は青木繁(1882-1911)の「大穴牟知命」。蚶貝姫と蛤貝姫も描かれる。

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