漢字の旧字体の話

 3月以来、漢字の旧字について熱中してしまって別の執筆がはかどらない。熱中した割りには、成果は少ないかもしれない。

 学生時代はお金もなく、古本屋で安売りの文庫本などを手にすると、旧漢字の本は少なくなかった。(当時を基準に)10〜20年前の古本がそうだった。古本でなくても岩波文庫の再版など旧字のものは少なくなかった。1970年代の話である。

 最近、昭和33年の筑摩書房の「現代日本文学全集」のうちの「夏目漱石集(三)」を見たところ、「現代日本」というタイトルではあるが、全文が旧字旧仮名である。しかし昔の本は活字のデザインが良いので、とても読みやすい。8ポイント文字は老眼の進んだ人には小さすぎるかもしれないが。

 昔の書籍を、当時の文字遣いのままpdfなどの電子本として再現できないかという動機だった。PCでは花園明朝Plusという一種の大量外字集を使えば、かなりのところまではできることがわかった。変換する文字のリストを作れば、変換プログラムで簡単にできなくはない。しかし「文字遣い」の問題が、ことをややこしくする。

 実際に古い本を、文字遣いを意識して見てゆくと、今の漢和辞典などが区別する旧字と新字とはずいぶん違う方式であることがわかる。一番の違いは、草冠を真ん中で分けて4画で書く字形が、大正時代の日本名著全集をはじめ、文芸書や一般書ではほとんど見かけない。折口信夫全集も然り。
親譲りの
 戦前の夏目漱石全集は、全ページの撮影画像を国会図書館サイトで見ることができるが、漱石独自の文字遣いがあるのがわかる。日本で一番有名な小説の書き出しは「親譲りの無鉄砲で子供の時から……」という文だが、最初の「親」という字の左上の「立」の先は、縦に短く書くのではなく、横方向に小さく一と書く版がある。この字形は漢和辞典などでは俗字・異体字とされるが、漱石の本では、新、薪なども横一本の書き方である。「帝、締」や「敵」などの「立」の先は、漱石では縦に短く書く。「化」の匕は斜め左下に突き抜けるが、「花」という字では、漱石は突き抜けていない。これらは漱石全集でも戦後の現代日本文学全集でも同じなのだが、全集は版によって違うかもしれない。
 節や郷を、卽のように書くのは、漱石以外でも昔は主流だったが、今の漢字学者の意見は違うようで、パソコンの字体では漢字学者の意見が主流のようである。漱石では、櫛だけは と書く。左下の2本の歯のような形が、いかにも櫛らしいからであろうか、というのはジョークではなく、案外当たっているのではないかと思う。櫛は折口信夫でも同じだった。
 折口信夫全集では、初や呪などの字形が、漱石とも違う。

 多数の作家を調べたわけではないが、作家によって異なる「文字遣い」があるように思う。仮名遣いと違って、文字遣いはルールが非常に緩く、私的な嗜好まで含めてしまっているようでもある。

 しかし、人によって字形が違っても、読むときに不便は感じないものである。漢字とはもともと1つの字にさまざまな字形があるものが当たり前だからだろう。たとえば「言」という字の一画めは、印刷物では短い横線だが、手書き文字でそう書く人は少なく、たいていは斜め方向の点1つに書く。こういう字形の違いについて、人は普段は意識したことはない。
 新字を使っていても文藝の藝だけは藝を使うケースは、馴れない人が読むと気になるかもしれないが、馴れればどうということはない。
 とにかく、変換プログラムのための変換リストは、作家の数だけ用意しなければならない場合もありうるのである。

 とはいえ、古い本に親しむためには、旧字はたくさん憶えておかなければならない。というより、親しんでいるうちに、自然に憶えるものであろう。
 古文書や昔の崩し字は、旧字をもとに崩してあるので、元の字を知らないと想像もつかないようなことになることもあるらしい。

ちなみに「親」という字について。漢和辞典によると、親の左側部分は「辛+木」から成り、辛は針のこと。木の位牌に敬意を込めて針を差し立て、それを見上げることから親の字になったという。針を立てるのなら、立の先は立っていなければならないわけだ。
「章」は、辛つまり針や刃物で入墨したことから始まり、針なので先は立つ。「童」も刃物と関係あるらしく、原義は子供ではなく牧童のような身分のことで、先は立つ。
「商」は、台の上に音を意味する章から成り、章と同様に先は立つ。
「帝」、3本の縦の線を真ん中でまとめる形。1つにまとめるので、先は立つ。下からまとめるので、全体を逆三角形に書くべきではなからう。
 滴の右側は、啻という字が元なので、帝と同じ。

「音」は、言という字の口に何か挟んだ形からできた字なので、言と同様に、先は横線になる。この字だけが横である。
 これらの字はみな「立」という形に見える部分を含むが、どれも「立」という字とは無関係である。
 親の位牌に針や釘を立てるというのは、近世以後の日本人には思いもつかないことである。むしろ親とは小言を言うもの、上から雷を落とす存在だと思えば、「言」や「音」と同じように、先は横の線に書きたくなるのが、われわれ日本人の感覚ではなかろうか。
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筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原

 藤原といふ地名がある。
 藤原とは、淵原(ふちはら)のことであり、水源地の意味であると、折口信夫『水の女』でいふ。清らかな水があり、禊ぎをする人があり、その介添の女がある。天皇の禊ぎを担当するのが、藤原の氏族の女であり、皇后にもなるのだともいふ。民間では、産湯を使ふ取り上げ姥から、三途の河のほとりで衣を奪ひ取る婆まで、女性の力に頼る人生になってゐるのも、このためであらう。

 万葉集に、葛飾の真間の井の伝説があり、手児奈といふ美しい娘が、複数の男に求婚されて入水したといふ悲話である。高橋虫麻呂の歌がある。

 葛飾の真間の井見れば、立ち平し、水汲ましけむ手児奈し思ほゆ

「水汲ましけむ」とあるので、同系の女であることがわかる。真間の井とは清らかな水のある場所であったらう。

『地名の研究』で柳田國男は、「土の崩れる崖をママといふ」「上総・信濃でも土堤のことをママといふ。その説明には崩れるといふことはないが、高地の側面をママといふことだけは前説と通じてゐる。『地名辞書』にも、相模足柄上郡福沢村大字壗下(まました)に関して、崖のはずれをママといふと記してある。」(柳田国男『地名の研究』)

 葛飾の真間の下流には、欠儘(かけまま)といふ地名もあり、カケも崖のことである。
ママは「高地の側面」といふのは、崖の側面、斜面のことであり、湧き水のよく出る地形である。手児奈が水を汲んだ場所は、本来はそのような泉のほとりだったであらう。
藤原の「原」も、実は同類の段丘地形のことだといふことは、後に明らかになるであらう。

 源といふ姓も、意味は水源地のことである

 平(ひら)とは、広辞苑に「セ鈎罎砲△訌蠹広い緩斜面」とある通り、平らな地形ではなく、傾斜地をいひ、古事記の黄泉つ比良坂のヒラがこれに当たる。沖縄では、傾斜地の上の台地を、高ヒラの意味でタヒラといふのだと説明される。姓の「平」も、その意味は、傾斜地や水源地と関係するものと想定できる。

 ここまできて、橘(立花)といふ地名も、同様ではないかと思った。タチは、東北に多い館(タテ、タチ)のことであらう。
 「東北に往って聞いてみても、岡の尾崎をタテとはいふが館迹とは言はない。畑とか林とかの場処をさしてただタテと呼ぶのである。もし強いて細かく説明するならば、奥羽でタテといふのは低地に臨んだ丘陵の端で、通例は昔武人が城砦を構へてゐたと伝へられる場処である。」(『地名の研究』)
 タチを「丘陵の端」とするなら、ハナはさらにその先端になる。
 武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の郡家跡らしき場所も、地図で見ると川崎市の多摩丘陵の端の、少し先に多摩川の見える地であった。
 群馬県前橋市郊外の橘山は、同様であり、赤城山麓の端の利根川近くにある小山である。近くには、水分神社がある。

 ところで、源平藤橘といへば、日本を代表する四大氏姓である。高貴な姓ともされる四つの氏姓には、その意味に共通するものがあるようだ。もっとも太古の昔に人々の集団が定住するにふさはしい場所とは、湧き水の豊富な場所のことであり、その場所や地名を尊ぶのは当然と言へば当然である。

 橘とか原とかいふ言葉から思ひ起こされるのは、古事記で、黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あはきはら)」で禊ぎをした話である。筑紫……以下について、その意味ゐ考へてみよう。

 筑紫は九州のこと、日向は日向国のことで、異論はなからう。
 橘は、本居宣長の『古事記伝』には、地名のことだらうとしか書かれてなかったが、既に見たように「丘陵の端」の「ハナ」といったような地形の場所であらう。
 小戸とは、尾処(ヲド)の意味で、更にその先のことであらうか。

 阿波岐原は、日本書紀では「檍原」と書かれる。檍は、広辞苑には「かし・もちのきの古名、梓の類などというが、未詳。〈神代紀上訓注〉」とあるが、アハキはアヲキ(青木)のことかと古事記伝にあり、昔からいはれてゐたことらしい。
 しかしその先がわからない。ここまでで、アハキハラの探求は、終るかと思はれた。しばらくして『川を考える地名』(小川豊:著)といふ本を見たら、興味深い記述があった。

 「青木地名の大方は、樹木が繁ったというより、微小扇状地といった地形で、全国的にアオギで分布、オーギは兵庫県芦屋くらいであろう。降水のあったときだけ川になるというのもある。とにかく旧河道(谷地形の)の土砂堆積地であろうと思われる」(『川を考える地名』)

 同書では、別の項目で、アバ、アワの地名について、古語の「発く」からきたもので、土地の表面が剥がれたり、崩れたりした場所であり、川の近くなら川崖のあるところだといふ。
 小川氏は、もと建設省の技士で、全国の工事に関り、土地の地質と地名とが密接な関係にあることが多いことに気づいて、その研究を発表された人である。
 小戸が狭い場所のことなので、 阿波岐原も、広い場所ではなからう。阿波岐原は、河原の「微小扇状地」か、川崖のあるところか、どちらかだらうが、禊ぎの場所であるから、脇から清らかな湧き水があるような水源地でもある河岸のあたりといふことになる。

※ 小川氏の崩壊地名の本については、「地名でわかる危険地帯」のように宣伝されることもあり、部分的にはその通りなのだらう。しかし日本列島は、どこへ行っても断層だらけでで地震と津波の国であり、避けられないことである。
また他方では、別の見方をすれば、日本の地名は、土地を客観的な不変の形状として認識するのではなく、生き物のように形を変化させてきたものとして捉らへてきたところがある。島根半島は、遠くの島に綱を引っ掛けて引っ張って来たものと考へたくらゐである。丘の形を見て、欠けたところがあるように見えれば、事実はともかく、昔に欠けたと想像してガケと呼ぶこともあらう。
 いづれにせよ、段丘や崖や斜面についての呼び名や地名が、実に多量にあるのが日本の地名の特徴である。
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ユニコードはどの程度の漢字を使えるか

特殊な祭神名(高龗神など)のほか、漢字の旧字体等は、パソコンでどの程度まで使えるかについては、これまでも書いたことがある。
近年、パソコンで使用するユニコードの文字体系が整備され、使える文字はかなり増えた。しかしちょっと調べてみると、昔の旧字体で出版された活字本の漢字を、そのまま表示できるまでには、なっていないようである。

文字を使える、使えないの問題には、区別して考えなければならない点がある。
 1 文字コードの問題。ディスプレイに文字が表示できるか。一般的な方法で検索や通信が可能か。
 2 字形の問題。文字の字体に間違いないか。パソコンやハードウェアが異なっても同じ字体になるか。OSの提供するフォントの問題。
 3 表示された通り印刷できるか。

さて、近年は「祠を祀る」などの文字が正しく表示される(以前は「しめすへん」は「ネ」のような字形だった)ので、常用漢字の「通用字体」と「旧字体」の対照表を作ることができるのではないかと思った。そこで調べてみると、Wikipediaにそれに近いものがあった。

Wikipediaの 常用漢字一覧 に、表形式の一覧が載っているが、ざっと見たところ、本来あるべき「旧字体」の欄が空白になっているのが多い。

 すぐに80字ほど見つけた(詳細にはもっと多いだろう)
  媛 援 煙 翁 鎌 緩 起 虐 急 券 兼 拳 嫌 謙 誤 采 彩 採 菜 削
  咲 姿 捨 爵 弱 習 週 述 術 肖 宵 消 勝 侵 浸 刃 尋 請 扇 遷
  掃 送 造 尊 妥 隊 濯 暖 彫 調 朕 墜 謄 藤 騰 毒 乳 浮 派 覇
  半 伴 浮 婦 包 抱 泡 胞 砲 飽 望 翻 躍 愉 諭 輸 癒 曜 翌 翼

これだけ多いということは、ページ作成者の見落としではなく、文字がない可能性がある。そこで、《Unicode/CJK統合漢字》 漢字部首検索 で調べたところ、やはりほとんどなかった。
この CJK統合漢字サイトには、「□」という表示だけで字形が表示されない文字コードがかなりある。今回調べた文字が、実際は文字コードはあるが、この□のどれかに該当して表示されないだけかもしれない。それは未調査である。これは前記の「2 字形の問題」であり、使用したPCでたまたま□の表示になっただけかもしれない。

Wkipediaで「郷」の旧字体欄に「鄕」という字形があるが(PCのフォント環境によって字形が異なるかもしれないが)、この字の中ほどが「皀」となる字形のほうが一般的だと思うが、使えない。既(旣)、即(卽)は可。
「並」に対して「並」は旧字体のコードだが、同じ字形で表示されるとしたら「2 OSのフォントの問題」である。


以上のほかに、前記の80字には入れてないが、「食へん」や「しんにょう」や「草かんむり」の漢字を見てゆくと、Windows環境で正しい旧字体で表示できない文字の数は、さらに多いことになる。

そんなわけで、ざっと見ただけでも、これほどの問題があるわけである。昔の書籍の文字のまま再現するのは、困難である。

また、どの字形が本字なのか異体字なのかは諸説があるようである。古い字を使って作文しようと思っても、字形を選ぶのに苦労するだろうし、字音仮名遣よりも厄介かもしれない。
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遷都と宮城

初代橿原宮から50代桓武天皇の平安京までのリスト。表記はおもに日本書紀により、〔〕は古事記による。
初代 神武天皇橿原宮〔畝火の白梼原宮〕 玉襷畝傍の山の橿原
2代 綏靖天皇葛城高丘宮〔葛城の高岡宮〕
3代 安寧天皇片塩浮孔宮〔片塩の浮穴宮〕
4代 懿徳天皇軽曲峡宮〔軽の境岡宮〕
5代 孝昭天皇掖上池心宮〔葛城の掖上宮〕
6代 孝安天皇室秋津島宮〔葛城の室の秋津島宮〕
7代 孝霊天皇黒田廬戸宮〔黒田の廬戸宮〕
8代 孝元天皇軽境原宮〔軽の堺原宮〕
9代 開化天皇春日率川宮〔春日の伊邪河宮〕
10代 崇神天皇磯城瑞籬宮〔師木の水垣宮〕
11代 垂仁天皇纒向珠城宮〔師木の玉垣宮〕
12代 景行天皇纒向日代宮〔纏向の日代宮〕
13代 成務天皇志賀高穴穂宮〔近淡海の志賀の高穴穂の宮〕
14代 仲哀天皇穴門豊浦宮、筑紫橿日宮〔穴門の豊浦の宮、筑紫の訶志比の宮〕
15代 応神天皇軽島豊明宮、大隅宮〔軽島の明宮〕
16代 仁徳天皇難波高津宮〔難波の高津宮〕
17代 履中天皇磐余稚桜宮〔伊波礼の若桜宮〕
18代 反正天皇丹比柴籬宮〔多治比の柴垣宮〕
19代 允恭天皇遠飛鳥宮〔遠飛鳥宮〕
20代 安康天皇石上穴穂宮〔石上の穴穂宮〕
21代 雄略天皇泊瀬朝倉宮〔長谷の朝倉宮〕
22代 清寧天皇磐余甕栗宮〔伊波礼の甕栗宮〕
23代 顕宗天皇近飛鳥八釣宮〔近飛鳥宮〕
24代 仁賢天皇石上広高宮〔石上の広高宮〕
25代 武烈天皇泊瀬列城宮〔長谷の列木宮〕
26代 継体天皇樟葉宮 筒城宮 弟国宮 磐余玉穂宮〔伊波礼の玉穂宮〕
27代 安閑天皇勾金橋宮〔勾の金箸宮〕
28代 宣化天皇檜隈廬入野宮〔檜隈の廬入野宮〕
29代 欽明天皇磯城島金刺宮〔師木島の大宮〕
30代 敏達天皇百済大井宮、訳語田幸玉宮〔他田宮〕
31代 用明天皇磐余池辺雙槻宮〔池辺宮〕
32代 崇峻天皇倉梯柴垣宮〔倉椅の柴垣宮〕
33代 推古天皇豊浦宮、小墾田宮〔小治田宮〕
34代 舒明天皇飛鳥岡本宮
35代 皇極天皇飛鳥板蓋宮
36代 考徳天皇難波宮 績麻なす長柄の宮 御食向ふ味原の宮 おし照る難波の宮 あり通ふ難波の宮
37代 斉明天皇飛鳥板蓋宮 飛鳥川原宮 飛鳥後岡本宮 飛鳥田中宮 朝倉橘広庭宮
38代 天智天皇近江大津宮 石走る淡海の国の、漣の大津の宮
39代 弘文天皇近江大津宮
40代 天武天皇飛鳥浄御原宮
41代 持統天皇飛鳥浄御原宮、藤原宮
42代 文武天皇藤原京 荒栲の藤原
43代 元明天皇藤原京、平城京 作らしし香具山の宮
44代 元正天皇平城京
45代 聖武天皇平城京(恭仁京、近江紫香楽宮、難波京) 甕の原 恭仁の都
46代 考謙天皇平城京
47代 淳仁天皇平城京
48代 称徳天皇平城京
49代 光仁天皇平城京
50代 桓武天皇平城京、長岡京、平安京
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ユリシーズ

ギリシャ神話というか、ホメロスの叙事詩を再構成したイタリア映画『ユリシーズ』をNHK-BSの正月テレビで見たが、なかなか良い映画で、音楽が良ければもっと良いだろうと思う。
ジョイス(丸谷才一訳)の小説『ユリシーズ』は、40年も前に購入して未読のまま収納中。

ユリシーズ(ギリシャ名でオデュッセウス)は、トロイ戦争で手柄をあげて帰還するとき、さまざまな島へ立寄って、島の王女やら魔女やら女神たちに遭遇したり、一つ目の巨人の神との戦いなどのシーンもあり、飽くなき冒険は20年も続いた。映画でも、ナウシカ、キルケ、セイレーンなどの名前は多く出てくるが、話を2時間以下の映画にまとめなければならないのは大変だ。
出逢った女たちについては魔女キルケの話が映画のクライマックスになっていて、その島を抜け出そうとするとき、島に残って不死の身で神となり恐れるものもなく暮らすか、外へ出て人間のまま死を怖れて暮すか、の選択を試される。「怖れてこそ勇気の価値がある」と映画のユリシーズは言う。勇気とは、ユリシーズが武人だからそういう言葉を使うのかもしれないが、怖れとは、畏怖のことだが、限りあるもの、儚いものへのうつくしみでもあるのだろう。

ジョイスの訳者・丸谷才一によると、20世紀文学の特徴の一つに神話的方法があるとのことで、神話的方法はナショナリズムを越えるためのものであるという。けれど日本国内だけの狭い意識で記紀神話をとりあげても、そうはならないので、よくよく注意しなければならない。
ユリシーズ
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谷崎夫人と丸谷夫人

丸谷才一と、谷崎潤一郎夫人、松子さんの対談(『文学ときどき酒』に収録)を読んでいたら、次のような部分が、目に入った。

「丸谷 『倚松庵の夢』という奥様の随筆集を拝見しましてね。およそあれほど初期の谷崎潤一郎の文章----つまり、主語がきちんとあって目的語があって、述語は何を受けているか、副詞はどこにかかるかがきちっとしている英文和訳みたいな文章ですよね。そういう文章と全く違う文章を、明治維新以後の日本に求めるならば、これは奥様の文体だろうと思いました。(中略)それで奥様の恋文の影響で、谷崎潤一郎は『文章読本』を書いた、というのがぼくの仮説なんです。」

それで、ピンとくるものがあったので、丸谷才一夫人、演劇評論家の根村絢子さんの文章を探して、現代演劇協会機関誌『雲』第5号(昭和39年11月)に掲載の「翻訳劇の落し穴」を読んでみた。
ある一つのセンテンスの中の、文末というか、句点(。)の直前を書き出してみよう。

  結構だと思う。
  のはどういうわけだろう。
  ような気がするのです。
  なのじゃないかしら。
  どうして後廻しにされているのか。
  を否定するのはいい。
  のはずです。
  ではないでしょう。

ますです調と、である(言切り)調に、口語的な「かしら」が混ざり、丸谷さんのエッセイに良く似ていますね。言切りはあっても「である」がないのは、女性らしい柔らかい感じ。
末尾の2文字が同じものは「です」が2つあるだけで、3文字まで見れば、同じものは一つもない。
探して見つけた文章は、予想通りの文章ではあったのだが……?
kumo
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大嘗祭について

令和の大嘗祭が、11月14、15日に執り行われた。
大嘗祭とは小学館国語大辞典に次のようにある。

「天皇が即位の後、初めて行う新嘗(にいなめ)の祭。その年に新たに収穫された穀物を、天皇みずから、天照大神をはじめ天地の諸神にさし上げる一代一度の大礼。
祭に用いられる新穀は、あらかじめ卜定された悠紀(ゆき)、主基(すき)の国から奉られ、祭の日の夜、天皇は新しく造られた大嘗宮の悠紀殿ついで主基殿で、これを神に供え、みずからも喫する。(中略)季・冬(季語は冬)」(小学館国語大辞典)

補足すれば、穀物以外の収穫物も各地から献納される。悠紀国の「国」とは明治の廃藩置県以前の国(武蔵国など)のことで、現在は県を卜定して悠紀地方、主基地方という。

「新嘗祭」とは、毎年の収穫やそれを加工したもの(酒など)を神前に供え、その年の収穫を報告・感謝し、神前から下げたものを、祭の参加者がいただく(直会や宴の形式になることもある)というもの。収穫感謝の儀礼は世界のどの民族でも伝統的に行なってきたものだが、日本では新嘗祭という形式で発展してきたもので、宮中をはじめ日本中の村々や町(の神社)でも行なわれ、あるいは別名で「秋祭」などと言っているところもある。
その年の感謝の祭なのだが、明くる年の収穫を祈る祭でもある。新しい穀物などを食することによって、感謝とともに、次の年のちからになるからであろう。

日本では穀物や食物に関する儀礼の中心に天皇があり、その天皇が代替りされることから、その役割を継承され、日本中の村々の新嘗祭を統合する形式で、新しい御代の収穫や災害のない世を祈られるということになる。
天皇が国民統合の象徴であるように、大嘗祭は国民の祈りの統合の象徴というべきだろうか。
天皇は日本の象徴ともいわれるが、それだけでなく日本の歴史の象徴でもあり、未来の象徴としても新しい天皇は即位されるのだろう。

『天皇と国民をつなぐ大嘗祭』(高森明勅)では、多数の国民が具体的に多様な奉仕によって大嘗祭に関ることの意義が語られていたと思う。律令制とともに定着したということなのだが、本は読了していない。大嘗祭が稲作を普及させることにもなったといえるかもしれない。

『日本人とは何か』(中西進 1997)で大嘗祭について少し書かれた部分が気になっているのだが、その本が見つからず、引用できない。

折口信夫の『大嘗祭の本義』は基本文献である。伊勢の神嘗祭との違いについてや、村々の祭については当時の現場を見知っていた折口の描写と語りはリアルで深いものがあり、民と天皇のつながりを見抜いたものでもあったろう。
悠紀殿や主基殿の中の設備のことを、「或人は、此お寝床の事を、先帝の亡き御身体の形だといふが、其はよくない。死人を忌む古代信仰から見ても、よろしくない。猶亦、或人は、此が高御座だといふが、此もよくない。」(大嘗祭の本義)という。「共寝」の話が出てくるわけではない。
「日本紀の神代の巻を見ると、此布団の事を、真床襲衾と申して居る」という。
高天原の天照大神の田の稲種を授かって、瓊瓊杵尊が降臨して葦原中国に伝えたという神話が、再現されるという、そういった神をたたえる文学の国民的共有は、あっても良いものだろう。
それは日本の文学や芸術の統合の象徴である、といえば、象徴という言葉を便利に使いすぎかもしれないが。
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即位の礼 正殿の儀

10月22日に、即位の礼 正殿の儀が執り行われ、天皇陛下は高御座(たかみくら)に登られ、即位を内外に宣明された。

 (陛下のお言葉)
 さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。
 上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御み心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
 国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。


その日は両陛下は午前7時に御所を出発され、饗応の儀の終了が午後11時半という報道があり、それだけで16時間半というのは、大変な長時間である。
ところで、9年前の2013年に即位したベルギーのフィリップ新国王の言葉を読んで気になっていたことがある。全文は現在はわからないが、主要部分を見つけることができた。
「ベルギーの憲法と法律を順守し、国家の独立と領土が侵害されることがないよう維持することを誓います」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000009208.html
領土云々のところが、日本とはだいぶ違うと思った。現代の王室が法的に国防義務を課せられているとは考えにくいので、なにか昔からの名残りで引き継がれている文言なのだろうと思った。
ヨーロッパの王室の起りは、ハプスブルグ家でも13世紀、イギリス王室は17世紀であり、日本の応仁の乱が15世紀なので、日本でいえば一種の武家政権のようなものなのだろう。「貴族」という言葉の意味合いが、西洋史と日本史ではだいぶ違うので、注意が必要だ。

日本の場合は、耶馬台国時代に百余国ないし数十ヶ国が乱れたときに、1つが他を征服するのではなく、倭国連合の女王に卑弥呼が共立されることによって平和を取り戻したという話があるが、そういったお国柄だったのだろう。
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ガーデン・シュレッダー

小さな森の管理のため、ガーデンシュレッダーなるものを購入したのは、10年ほど前のこと。HM-1605 という製品で、値段は3万円余。太さ1〜2cm程度の枝を、3cmほどのチップにしてしまう機械である。
(以下は悪戦苦闘の記録)

使い始めて最初のうちは調子が良いので、何本もの枝を突っ込み、負荷がかかりすぎては動作が停止するので、逆回転スイッチで枝を戻して、詰まり物を除き、再スタートといった具合。だいぶ仕事がはかどったあと、負荷のための停止のあと、再スタートできなくなり、機械はそのまま放置することになった。

10年めの今年春、スイッチを入れてみたが、やはり動かない。
そこで、安価な新機種を購入したのだが、この機械は、力が弱く、切断方式も異なり、作業中は腕の力で枝を押し込み続けていなければならない。残りの枝が短くなったら専用の「押し込み棒」で押し込む。これでは、すぐに腕が疲れてしまう。

最初のHM-1605は、切断刃が歯車(ギア)の形になっていて、歯車が枝を引き込みながら切断するので、最初に枝を軽く突っ込むだけで、どんどん切断してくれて、楽だった。
この春に、念のためにHM-1605の本体外カバーのネジを外し、中を入念に清掃後、スイッチを入れたら動き出した。微細な破片などの詰まりが動作不良の原因だったようだ。半月ほどして、だいぶ作業がはかどったあと、必ずしも処理しなくても良かった篠などをまとめて突っ込み、再び故障の憂き目に遭った。今回は清掃くらいでは動かない。
(カバーを開けた状態で、スイッチを押し続け、回転ファンを手動で少し動かしてやると、動き出すが、スイッチを離すと停止する)
LSG2100
その後、半年ほどして、安価な中古の同等品と思われるもの(LSG-2100)を入手。
外カバーは綺麗で酷使された形跡はないが、回転刃の表面の錆びが気になる。動作は、快調というわけにはいかなかった。枝の量がそれほど多くなくても停止してしまうことがある。詰まって停止したときは、逆回転で戻してから、再スタート、という方式のはずなのだが、いきなり再スタートボタンを2秒程度押し続けると、それ以後は普通に動く。旧機種ではそのようなことはなかった。弱めの負荷でも自動停止してしまうということだろう。

自動停止のメカニズムについて想像すると、回転数が基準値より下がったときに、自動停止すると思われる。始動のとき、スイッチを一瞬だけ押したのではすぐに止まってしまい、1〜2秒押し続けて、回転数が上がって基準に達してからスイッチの指を離す。安全性を考えてのものだろう。
動作不良は、概ね、回転数不足によるものだと思う。

回転数不足の原因には、どんなのがあるだろうか。
1、大量の枝を投入。歯車の凹の部分に、いったんはチップになった枝が余裕をもって全て収まる量でなければならない。
2、回転部分に、細かい木屑や繊維などの異物が引っかかったりして回転不足を起こすことがありうる。説明書に竹類は不可と書いてある。「枯木はなるべく粉砕しないでください」というのは、微細な粉末などが詰まって、清掃せずに固まるようなことがあるのかもしれない。
3、刃受け部分の不安定。
4、刃の劣化。
5、電気的な原因。指定外の細い延長コードでは電圧不足になる。そのほか電子部品の問題からくるもの。

HM-1605の本体カバーを開けたとき、内部はモーターと歯車などの主要部分の他、2つのパーツがプラグ方式で接続されていた。1つは大型コンデンサー、1つはスイッチ基盤である。外したり付け替えたりは簡単に出来そうなので、同等機種ならパーツを交換して、動作を確認できるかもしれない。

★補足
ホームセンターで、植木剪定の機械用の潤滑スプレーを発見。潤滑のほか「ヤニ取り」の効果があるという。シュレッダーの場合も、古枝の粉末と、若枝のヤニが混合して、回転部の隙間にもぐりこんで固まるなどして具合が悪くなることがありうるだろう。
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新元号「令和」

5月1日の譲位にともなう新元号は「令和」となることが発表された。
万葉集巻五、梅花の歌三十二首併せて序、「初春の令月にして気淑く風和らぎ、云々」からとのこと。
令月とは、「?@万事をなすのによい月。めでたい月。?A陰暦二月の異称」と広辞苑にある。
(この令は、せしむる、命令するという意味ではないことになる。)
もとは、後漢の張衡という人の『歸田賦』の「於是仲春令月、時和気清」という言葉を踏んでいるらしい。張衡の詩は自然を称え、自然回帰のようにもとれるもの。
張衡は令月を仲春としているが、日本では初春になっているのは、満ち足りた春に満足するのか、春の予兆を重視するかの違いだろうか。日本の「春」とは、一年を均等に四分割したうちの一つではないようだ。

令和
令の書き方は、筆記ではいくつかの書き方があり、下の部分を「マ」のようにも書く。
どの字も活字のように四角いマスをいっぱいに使おうとすると、「令」の字は小さく見えてしまうので、「令」の左右は「和」より大きく書き、「令」の先はあまり尖らせないほうが良いかもしれない。
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