神話の森のブログ

日本の神話や民俗、また近世農村研究

谷崎夫人と丸谷夫人


丸谷才一と、谷崎潤一郎夫人、松子さんの対談(『文学ときどき酒』に収録)を読んでいたら、次のような部分が、目に入った。

「丸谷 『椅松庵の夢』という奥様の随筆集を拝見しましてね。およそあれほど初期の谷崎潤一郎の文章----つまり、主語がきちんとあって目的語があって、述語は何を受けているか、副詞はどこにかかるかがきちっとしている英文和訳みたいな文章ですよね。そういう文章と全く違う文章を、明治維新以後の日本に求めるならば、これは奥様の文体だろうと思いました。(中略)それで奥様の恋文の影響で、谷崎潤一郎は『文章読本』を書いた、というのがぼくの仮説なんです。」

それで、ピンとくるものがあったので、丸谷才一夫人、演劇評論家の根村絢子さんの文章を探して、現代演劇協会機関誌『雲』第5号(昭和39年11月)に掲載の「翻訳劇の落し穴」を読んでみた。
ある一つのセンテンスの中の、文末というか、句点(。)の直前を書き出してみよう。

  結構だと思う。
  のはどういうわけだろう。
  ような気がするのです。
  なのじゃないかしら。
  どうして後廻しにされているのか。
  を否定するのはいい。
  のはずです。
  ではないでしょう。

ますです調と、である(言切り)調に、口語的な「かしら」が混ざり、丸谷さんのエッセイに良く似ていますね。言切りはあっても「である」がないのは、女性らしい柔らかい感じ。
末尾の2文字が同じものは「です」が2つあるだけで、3文字まで見れば、同じものは一つもない。
探して見つけた文章は、予想通りの文章ではあったのだが……?
kumo

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大嘗祭について


令和の大嘗祭が、11月14、15日に執り行われた。
大嘗祭とは小学館国語大辞典に次のようにある。

「天皇が即位の後、初めて行う新嘗(にいなめ)の祭。その年に新たに収穫された穀物を、天皇みずから、天照大神をはじめ天地の諸神にさし上げる一代一度の大礼。
祭に用いられる新穀は、あらかじめ卜定された悠紀(ゆき)、主基(すき)の国から奉られ、祭の日の夜、天皇は新しく造られた大嘗宮の悠紀殿ついで主基殿で、これを神に供え、みずからも喫する。(中略)季・冬(季語は冬)」(小学館国語大辞典)

補足すれば、穀物以外の収穫物も各地から献納される。悠紀国の「国」とは明治の廃藩置県以前の国(武蔵国など)のことで、現在は県を卜定して悠紀地方、主基地方という。

「新嘗祭」とは、毎年の収穫やそれを加工したもの(酒など)を神前に供え、その年の収穫を報告・感謝し、神前から下げたものを、祭の参加者がいただく(直会や宴の形式になることもある)というもの。収穫感謝の儀礼は世界のどの民族でも伝統的に行なってきたものだが、日本では新嘗祭という形式で発展してきたもので、宮中をはじめ日本中の村々や町(の神社)でも行なわれ、あるいは別名で「秋祭」などと言っているところもある。
その年の感謝の祭なのだが、明くる年の収穫を祈る祭でもある。新しい穀物などを食することによって、感謝とともに、次の年のちからになるからであろう。

日本では穀物や食物に関する儀礼の中心に天皇があり、その天皇が代替りされることから、その役割を継承され、日本中の村々の新嘗祭を統合する形式で、新しい御代の収穫や災害のない世を祈られるということになる。
天皇が国民統合の象徴であるように、大嘗祭は国民の祈りの統合の象徴というべきだろうか。
天皇は日本の象徴ともいわれるが、それだけでなく日本の歴史の象徴でもあり、未来の象徴としても新しい天皇は即位されるのだろう。

『天皇と国民をつなぐ大嘗祭』(高森明勅)では、多数の国民が具体的に多様な奉仕によって大嘗祭に関ることの意義が語られていたと思う。律令制とともに定着したということなのだが、本は読了していない。大嘗祭が稲作を普及させることにもなったといえるかもしれない。

『日本人とは何か』(中西進 1997)で大嘗祭について少し書かれた部分が気になっているのだが、その本が見つからず、引用できない。

折口信夫の『大嘗祭の本義』は基本文献である。伊勢の神嘗祭との違いについてや、村々の祭については当時の現場を見知っていた折口の描写と語りはリアルで深いものがあり、民と天皇のつながりを見抜いたものでもあったろう。
悠紀殿や主基殿の中の設備のことを、「或人は、此お寝床の事を、先帝の亡き御身体の形だといふが、其はよくない。死人を忌む古代信仰から見ても、よろしくない。猶亦、或人は、此が高御座だといふが、此もよくない。」(大嘗祭の本義)という。「共寝」の話が出てくるわけではない。
「日本紀の神代の巻を見ると、此布団の事を、真床襲衾と申して居る」という。
高天原の天照大神の田の稲種を授かって、瓊瓊杵尊が降臨して葦原中国に伝えたという神話が、再現されるという、そういった神をたたえる文学の国民的共有は、あっても良いものだろう。
それは日本の文学や芸術の統合の象徴である、といえば、象徴という言葉を便利に使いすぎかもしれないが。

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即位の礼 正殿の儀


10月22日に、即位の礼 正殿の儀が執り行われ、天皇陛下は高御座(たかみくら)に登られ、即位を内外に宣明された。

 (陛下のお言葉)
 さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。
 上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御み心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
 国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。


その日は両陛下は午前7時に御所を出発され、饗応の儀の終了が午後11時半という報道があり、それだけで16時間半というのは、大変な長時間である。
ところで、9年前の2013年に即位したベルギーのフィリップ新国王の言葉を読んで気になっていたことがある。全文は現在はわからないが、主要部分を見つけることができた。
「ベルギーの憲法と法律を順守し、国家の独立と領土が侵害されることがないよう維持することを誓います」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000009208.html
領土云々のところが、日本とはだいぶ違うと思った。現代の王室が法的に国防義務を課せられているとは考えにくいので、なにか昔からの名残りで引き継がれている文言なのだろうと思った。
ヨーロッパの王室の起りは、ハプスブルグ家でも13世紀、イギリス王室は17世紀であり、日本の応仁の乱が15世紀なので、日本でいえば一種の武家政権のようなものなのだろう。「貴族」という言葉の意味合いが、西洋史と日本史ではだいぶ違うので、注意が必要だ。

日本の場合は、耶馬台国時代に百余国ないし数十ヶ国が乱れたときに、1つが他を征服するのではなく、倭国連合の女王に卑弥呼が共立されることによって平和を取り戻したという話があるが、そういったお国柄だったのだろう。

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ガーデン・シュレッダー


小さな森の管理のため、ガーデンシュレッダーなるものを購入したのは、10年ほど前のこと。HM-1605 という製品で、値段は3万円余。太さ1〜2cm程度の枝を、3cmほどのチップにしてしまう機械である。
(以下は悪戦苦闘の記録)

使い始めて最初のうちは調子が良いので、何本もの枝を突っ込み、負荷がかかりすぎては動作が停止するので、逆回転スイッチで枝を戻して、詰まり物を除き、再スタートといった具合。だいぶ仕事がはかどったあと、負荷のための停止のあと、再スタートできなくなり、機械はそのまま放置することになった。

10年めの今年春、スイッチを入れてみたが、やはり動かない。
そこで、安価な新機種を購入したのだが、この機械は、力が弱く、切断方式も異なり、作業中は腕の力で枝を押し込み続けていなければならない。残りの枝が短くなったら専用の「押し込み棒」で押し込む。これでは、すぐに腕が疲れてしまう。

最初のHM-1605は、切断刃が歯車(ギア)の形になっていて、歯車が枝を引き込みながら切断するので、最初に枝を軽く突っ込むだけで、どんどん切断してくれて、楽だった。
この春に、念のためにHM-1605の本体外カバーのネジを外し、中を入念に清掃後、スイッチを入れたら動き出した。微細な破片などの詰まりが動作不良の原因だったようだ。半月ほどして、だいぶ作業がはかどったあと、必ずしも処理しなくても良かった篠などをまとめて突っ込み、再び故障の憂き目に遭った。今回は清掃くらいでは動かない。
(カバーを開けた状態で、スイッチを押し続け、回転ファンを手動で少し動かしてやると、動き出すが、スイッチを離すと停止する)
LSG2100
その後、半年ほどして、安価な中古の同等品と思われるもの(LSG-2100)を入手。
外カバーは綺麗で酷使された形跡はないが、回転刃の表面の錆びが気になる。動作は、快調というわけにはいかなかった。枝の量がそれほど多くなくても停止してしまうことがある。詰まって停止したときは、逆回転で戻してから、再スタート、という方式のはずなのだが、いきなり再スタートボタンを2秒程度押し続けると、それ以後は普通に動く。旧機種ではそのようなことはなかった。弱めの負荷でも自動停止してしまうということだろう。

自動停止のメカニズムについて想像すると、回転数が基準値より下がったときに、自動停止すると思われる。始動のとき、スイッチを一瞬だけ押したのではすぐに止まってしまい、1〜2秒押し続けて、回転数が上がって基準に達してからスイッチの指を離す。安全性を考えてのものだろう。
動作不良は、概ね、回転数不足によるものだと思う。

回転数不足の原因には、どんなのがあるだろうか。
1、大量の枝を投入。歯車の凹の部分に、いったんはチップになった枝が余裕をもって全て収まる量でなければならない。
2、回転部分に、細かい木屑や繊維などの異物が引っかかったりして回転不足を起こすことがありうる。説明書に竹類は不可と書いてある。「枯木はなるべく粉砕しないでください」というのは、微細な粉末などが詰まって、清掃せずに固まるようなことがあるのかもしれない。
3、刃受け部分の不安定。
4、刃の劣化。
5、電気的な原因。指定外の細い延長コードでは電圧不足になる。そのほか電子部品の問題からくるもの。

HM-1605の本体カバーを開けたとき、内部はモーターと歯車などの主要部分の他、2つのパーツがプラグ方式で接続されていた。1つは大型コンデンサー、1つはスイッチ基盤である。外したり付け替えたりは簡単に出来そうなので、同等機種ならパーツを交換して、動作を確認できるかもしれない。

★補足
ホームセンターで、植木剪定の機械用の潤滑スプレーを発見。潤滑のほか「ヤニ取り」の効果があるという。シュレッダーの場合も、古枝の粉末と、若枝のヤニが混合して、回転部の隙間にもぐりこんで固まるなどして具合が悪くなることがありうるだろう。

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新元号「令和」


5月1日の譲位にともなう新元号は「令和」となることが発表された。
万葉集巻五、梅花の歌三十二首併せて序、「初春の令月にして気淑く風和らぎ、云々」からとのこと。
令月とは、「)事をなすのによい月。めでたい月。陰暦二月の異称」と広辞苑にある。
(この令は、せしむる、命令するという意味ではないことになる。)
もとは、後漢の張衡という人の『歸田賦』の「於是仲春令月、時和気清」という言葉を踏んでいるらしい。張衡の詩は自然を称え、自然回帰のようにもとれるもの。
張衡は令月を仲春としているが、日本では初春になっているのは、満ち足りた春に満足するのか、春の予兆を重視するかの違いだろうか。日本の「春」とは、一年を均等に四分割したうちの一つではないようだ。

令和
令の書き方は、筆記ではいくつかの書き方があり、下の部分を「マ」のようにも書く。
どの字も活字のように四角いマスをいっぱいに使おうとすると、「令」の字は小さく見えてしまうので、「令」の左右は「和」より大きく書き、「令」の先はあまり尖らせないほうが良いかもしれない。

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御飯の食べ方


江戸時代のある手引書に、御飯の食べ方などの作法について書かれていたので、読んでみた。

御飯の食べ方
○箸は三ツ折にして中を取ると心得べし。
○飯のくひやうは、右の手にて飯椀(めしわん)のふたを取り、左の手にうつして下に置き、次に汁椀(しるわん)のふたも右のごとく取りて、飯椀のふたの上にかさね置くなり。
さて、飯椀を右の手に取りあげ、左の手にうつし持ちて、二箸ほどくひて、下に置き、
次に、汁椀を右の手にて取上げ、左の手へうつし、汁をすひ、右の手にうつして下に置く。
また飯を前のごとくにくひ、また汁をすひ、今度は汁の実をくひ、
また飯をくひて、其の次に菜(さい)をくふなり。
引落しのさい、右の方に有る物を左にて引寄せ、左の方なる物を右の手にて取る事有るべからず。(一部を漢字に変更)


「箸は三ツ折にして中を」というのは、実際に折るのではなく、長さを三等分したときの中ほどを持つということだろう(指先が中ほどになる)。持つ位置は、極端に上すぎても、下すぎてもいけない。
食べるときは、飯、汁、飯、汁と実、飯、菜、の順。菜とは副食物のことだろう。汗を流して働く人の場合に汁を先にという考えもあるかもしれないが、和食では、飯が先である。飯は水分の多いものであり、雑炊や粥のときもあるが、米を重視する国民ということなのだろう。茶道の作法で茶よりも菓子が先というのも、菓子を米に見立てているのかもしれない。

○まんぢうくふてい(饅頭の食べ方
まんぢうは、左にて取り、右のひとさしゆびと大ゆびにてもち、二ツにわりて、右の方を下におきて、ひだりよりくふべし。


饅頭は半分に割って、左から食べるということ。本人からみて左が上位である。椀も飯椀が左。

○めんるい喰ふてい(麺類の食べ方
めんるいは、汁をおきながら、一はし二はしすくひ入れて、汁をとりあげてくふべし。


「汁」とだけ書いてあるが、これは汁椀のことであろう。蕎麦等を入れるときは汁椀は置いた状態でということ。

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民家の間取り



漫画のサザエさんの家の間取りの図を、とあるサイトで見た。漫画で絵の背景を多数見ながら、パズルを組立てるようにして、全体を描いたものなのだろう。
http://www.sazaesanitiba.com/madori.html
サザエさんの家は、昭和20〜30年代の首都圏のサラリーマン家庭の家だと思うが、間取りは、関東の農家の家に似ている。部屋を田の字型に区切り、東西に3部屋、南北に2部屋の計6部屋である。東の2部屋と、西の田の字の4部屋を、南北に廊下が区切る。
 北側は西から、台所、茶の間、子供部屋。
 南側は同じく、床の間、客間、若夫婦の部屋。

 東側に若者の部屋を置くのは、農家と同じ。その西の廊下の部分は、農家では土間が広めにとってあった。西の4部屋の南側に、廊下または縁側が付く。廊下の西の突き当たりが便所。茶の間は中央北側のじめじめした部屋で、日当たりの良い南の部屋は、客間として確保される。
 農家と違う点は、北西の台所、北東の玄関である。農家の玄関は、南北に続く廊下の南であり、廊下の北端に台所が続く。北西は主人夫婦の部屋。昔は子供部屋というのはなかったので、子供は親と同じ部屋に寝て、学校の宿題などは縁側でした。大きくなったら若者の部屋となる。南西の床の間は、本来の客間なので、普通は使用しないが、家族の人数に応じて使われることもある。
 昭和30年代ごろから、どの家も、洋間風の客間を設けることが広まった。和室のまま絨毯を敷いて応接家具を置く家も多かった。床の間が使われなくなり、物置状態になった家が多い。子供部屋についても、なんとかしないといけないと、親は思うようになった。

 昭和の頃の平均以上の農家では、土間の西は4部屋でなく6部屋あった、東北の1部屋が茶の間、または囲炉裏を置いた居間で、その西は壁の多い納戸である。納戸は、寝室であり貴重品をしまう部屋だったが、昭和の戦後は、タンス部屋ないし収納専用の部屋になった家が多いようだ。壁の多いこの部屋を、子供の勉強部屋にした家を見たことがある。
 明治時代以前の各部屋の意味については、あらためて書くことにしよう。

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大国主神の5つの名


古事記によると大国主神には5つの名があるという。

「大国主神、またの名は大穴牟遅神と謂ひ、またの名は葦原色許男神と謂ひ、またの名は八千矛神と謂ひ、またの名は宇都志国玉神と謂ひ、併せて五つの名有り」

これらの5つの名については、古事記の物語の場面によって、使い分けられているような印象があったので、あらためて確認してみることにした。

以下は、古事記の話の概要を知っていることが前提で、余計な説明は付けないので、知らない人にはわかりにくいかもしれない。〈〉内は現代の本で章や節に分けたときの見出し名。

(1)大国主神(おほくにぬしのかみ)  系譜、国作り、国譲り 
 いわば「公的」な場面での名といえる。
 〈系譜〉〈国譲り〉の話では、この大国主神の表記のみである。〈国作り〉でも多い。
 〈稲葉の白兎〉の冒頭で、兄弟に八十神ありという系譜的な表現。
 〈大国主神の末裔〉は系譜そのもの。
 〈少彦名と国作り〉 基本は大国主神だが、例外あり。
 〈天菩日・天若日子〉は、系譜の部分(大国主神の女下照姫)もあるが、次の〈事代主神・建御名方神〉〈国譲り〉に続く前段でもある。

 〈根の国訪問〉で須佐之男命の言葉に「おれ大国主神となり、また宇都志国玉神となり」とあるのは、国作りへの期待の表現か。
 〈須勢理毘売の嫉妬〉で歌に「八千矛の神の命や 吾が大国主」とあるのは、「神」が付かず「吾が」がつき、親しみの表現か。「大国主神」とは違う。

(2)大穴牟遅神(おほなむちのかみ)  薬用、試練など。
 兄弟、叔母、妻、舅が登場する「私的」な場面での名。
 〈稲葉の白兎〉〈八十神の迫害〉では、大穴牟遅神。兄弟と叔母が登場。
 2つの話に共通するのは、試練と薬用による健康の回復の話であるということ。
〈根の国訪問〉も試練の話なので、基本は大穴牟遅神。最後は妻と舅の関係。
〈少彦名と国作り〉で、「大穴牟遅と少名毘古那と、二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまひき」とある。二神は「兄弟」。

(3)葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)  根国、または高天原からみた呼び名
 〈根国訪問〉 根国の須佐之男命が「こは葦原色許男ぞ」と確認。
 〈国作り〉 高天原の神産巣日神が、少彦名に「葦原色許男と兄弟となりて」と命ず。
 根国、高天原から、別空間である「葦原(の中つ国)」をみている。

(4)八千矛神(やちほこのかみ) 求婚の場面
 〈沼河比売求婚〉〈須勢理毘売の嫉妬〉の場面のみ、八千矛神となる。
 矛にせくしゃるな意味もあるのかもしれない。

(5)宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
 〈根国訪問〉 国作りの神の美称的表現か。(1)を参照。

物語の順序に従って、次に整理してみる。

 冒頭は、「大国主神」。
〈稲葉の白兎〉〈八十神の迫害〉では、「大穴牟遅神」。
〈根の国訪問〉も、「大穴牟遅神」。
  須佐之男命は「こは葦原色許男ぞ」と確認。
  脱出のとき須佐之男命に「おれ大国主神となり、また宇都志国玉神となり」と言われるのは、国作りへの期待のためか。

〈沼河比売求婚〉〈須勢理毘売の嫉妬〉では、「八千矛神」。
  須勢理毘売の歌に「八千矛の神の命や 吾が大国主」とある。「日子遅の神」というのもあるが5つに含まれない。

〈大国主の末裔〉は、系図の記述で、「大国主神」。
〈少彦名と国作り〉では、基本は「大国主神」。2つ例外あり。
  神御産巣日神の言葉に、少名毘古那神と「葦原色許男命と兄弟となりて」とある。
  ほかに「大穴牟遅と少名毘古那と、二柱の神相並ばしてこの国を作り堅め」とある。
〈天菩比〉〈天若日子〉では、「大国主神」。
〈事代主神 建御名方神の服従〉〈大国主神の国譲り〉では、「大国主神」。

※ 日本書紀も確認してみたほうが良いかもしれない。

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「老い」について


「老い」についての短い随筆を集めた本があったので、拾い読みしてみた。
(作品社『日本の名随筆 34 老』)

作家そのほか沢山の人のエッセイなどが収録されているが、どれから読むべきか。やはり今までに充実した読書経験のある著者のものということになる。

吉行淳之介「年齢について」
七十幾歳の男女の恋愛の実例の話が出てくる。著者の知人の七十幾歳の女性から聞いた話で、逢引きの様子などを、微笑ましく綴っている。このように人は老いても変らない情熱を持ち続けることができるのだから、老いを悲観することはないということだろうか。そんな噂話に熱中する年配女性についても微笑ましく描いている。

山本健吉「ちかごろの感想」
シリアスな話だった。
「老年の居場所とは、もっと安らかなものだと思っていた。だがこれはどうやら私の見込違いであったようである。老年とは、その人の生涯における心の錯乱の極北なのである。このことは、自分で老年に達してみて、初めて納得することが出来た。」という書き出しで、重い話が続く。
確かにそういう面はあると思う。そういう「心の錯乱」は、常に抑えられ鎮められているのだろう。そして心はどのように対応したら良いのかという、ハウツー物のような結論を期待してしまったのだが、途中から万葉歌人の山上憶良の話になる。憶良についての解説を依頼されて執筆された小文なのだろう。

團伊玖磨「義歯」
 総入れ歯を飲み込んでしまった老人の話。すぐに医者に駆け込むと、医者は平然として、日数はかかるが一週間か十日で出てくるでしょう、心配はいらないという。その通りになった。ちなみに小さな差し歯なら、一日か二日で出てくると思う。

次に読もうと思ったのは石川淳だが、永井荷風の死にあたっての追悼の文章のようで、荷風についての文学論が主題と思われ、いったん本を閉ぢた。

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餅なし正月とサトイモ


 「餅なし正月」とは、民俗学用語であるが、正月に餅を食べず、もっぱら里芋(さといも)を食べて祝う地方の民俗のことという。
 サトイモについて、最近知ったことは、畑の里芋と、田のサトイモ(田芋)と、2種類があるということである。吉成直樹『沖縄の成立』によると、田芋は水田で栽培され、東南アジア方面から北上して沖縄にもたらされたものだろうという。
 万葉集(3826)に次のような歌もある。長意吉麻呂(ながのおきまろ)の諧謔の歌。

 蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの 意吉麻呂が家なるものは宇毛(うも)の葉にあらし

 歌の意味は「(理想の女性とは)蓮の葉のような佇まいのものであって、そこへいくと我が家のものは、まるで芋(うも)の葉だ」となる。
 吉成氏によると、ウモはオーストロネシア語に由来する言葉なので、この歌のウモは南方から来たものであり、万葉時代以前に沖縄を経由して大和にも伝わっていたことがわかるという。文脈が少しわかりにくいのだが、イモでなくウモと呼ばれたことに着目したのだろうか。ただ、それなら、魚のことを和語でウヲともイヲともいうので、発音の転訛の可能性も考えないといけない。
 それよりも、蓮の葉と芋の葉とを、同列に比較しているという点が重要だ。似たところが多いから、同列に対比できるのだろう。どちらも水中から葉を出し、根が食用になる。誰もが知っている共通点がいくつもあるが、見栄えが違うので、洒落の効果も大きくなる。
 いづれにせよ、水田のサトイモは、万葉時代の大和でも普通に見られるものだったようである。
 芋で祝う正月とは、稲作が普及する以前からの民俗だとする説がある。一方、その分布を調べると、稲作文化圏にしか存在しないので、稲作文化の一つではないかという説もある。そこで思うのは、「稲作文化の一つ」ではなく「水田文化の一つ」なのではなかろうか。それなら両方の説が矛盾せずに成り立つ。
 水田は、稲も作れば、田芋も作る。古くからあるのは、もちろん田芋だが、田芋しか作らない田でも、良い種籾が手に入れば、水田稲作はすぐにできる状態なのだろう。

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