師走の影

12月を師走(シワス、しはす)という。師とはお坊さんのことで、12月になると忙しく走りまわるから師走というのだという落語のような話がある。暮れになると借金取りに追われるからだというオチがつく場合もある。

「三尺下がって師の影を踏まず」という諺がある。
尊敬すべき人に対する態度としては、三尺下がって距離をとれということだが、それだけでなく、影を踏んでは非礼になるということでもある。影とは人そのものであり、少なくともその人の分身だという意識なのである。
それは現代人が自分の写真の顔を土足で踏まれたようなものなのかもしれない。プライドを傷つけられたというのではなく、影を踏まれること自体が不吉なこととされたのである。
古い時代には影を踏まれることは、かなり深刻な問題だったらしい。子どもの影踏みの遊びは、そういう時代の名残をとどめているのだろうと思う。

播磨国の明石にあった楠の巨木は、朝日にはその影は淡路島を覆い隠し、夕日には難波の仁徳天皇の高津宮にまで及んだという。
巨樹は神そのものであり、その影に隠れることは、むしろ吉だったようである。「おかげさまで」という言い方があるのは、神の影響下での吉を祝う気持ちで言うのだろう。
肥前国の佐賀の大楠も、同様の巨樹だった。明石の楠は伐られて船に作られ船は「速鳥」と名づけられたという。
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Comments

柳居子 | 2007/06/09 08:52
貴ブログ掲載記事の一部を、無断で 拙ブログに掲載させていただきました。お心広くご了解を賜りますようお願い申し上げます。
森の番人 | 2007/06/09 23:47
引用は有り難いことですので、御丁寧に恐れ入ります。
影を人の分身のように見るのは世界中の民族に共通と思います。影が勝手に自分の意志で行動する童話もありますし、子供にも理解しやすいものだと思うのですが……。

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