日本風水

平安時代の京都はケガレに関して非常に気を使ったという。極端な例では、親の死に立ち会うと1年間は喪に服す意味で朝廷への出仕ができないので、つとめて親の死に目には会わないようにしていたという。死人が出たとき、同じ家にいなければそれは免れたらしく、また親以外でも死に立ち会っていればケガレを被ることになったらしい。
女の老いた親が病気になれば、その女のもとへは、ぱったりと通わなくなることもあったろう。女への愛情が薄れたわけではないのかもしれない。
ちょっとしたお出かけやら、毎日の行動についても、方位に気をつかったらしい。辻占などさまざまな占いがあったらしいが、風水思想も奈良平安時代に定着していったという。

日本風水風水は中国から輸入され、日本へ来て独自の変化をとげたことは想像されることだが、それについては戸矢学氏の『日本風水』(木戸出版)が参考になる。
桓武天皇の平安遷都も風水の影響が見られるようだが、どこか日本的で、それはやはり「自然との共生」という日本的なものによるらしい。鬼門についても、禁忌というとらえかたはやはり日本のケガレ観によるものなのだろう。同書では、江戸などの都市造りの問題や、地震予知などの話にまで広がっている。

紀伊国屋書店BookWeb 「日本風水」

戸矢氏の風水についてのコラムページも参考になる。
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