沖縄のシラとスデ水

3年前にブームになった菊池寛の『真珠夫人』という小説は、大正時代に書かれたものですが、葬儀の場面を次のように書いています。

「その美しい眼を心持泣き脹して、雪のやうな喪服を纏うて、俯きがちに、しほたれて歩む姉妹の姿は、悲しくも又美しかつた。それに、続いてどの馬車からも、一門の夫人達であらう、白無垢を着た貴婦人が、一人二人宛降り立つた。」

「雪のやうな喪服」「白無垢」、葬儀での喪服は白だったことがわかります。黒になったのは服装が時代とともに洋風化されていったためでしょう。
「白」は再生・生れ変わりの色と意識され、死もまた魂の生れ変わりの一つと考えられたようです。
奥三河の花祭で知られる愛知県北設楽郡の山間の「白山(しらやま)」という行事では、白い木綿で白く覆われた小屋に、還暦を迎えた老人たちが入り、そこから出たときに小屋が壊される、ということが行なわれ、それは仮に死んで新しい生命として生き返る意味なのだろうといわれます。還暦に赤いちゃんちゃんこを着て、生れ変わって赤ん坊になるというのと同じです。
「白山」とは山に籠るといった意味なのでしょう。北陸の加賀白山(はくさん)の山岳信仰でも「擬死再生の呪法」が知られますが、それとの関係ははっきりしないそうです。

沖縄では、稲の貯蔵所や産屋のことをシラ、あるいはシダと言うそうで、生命を生み成長させるという意味がシラという言葉にあるというようなことを柳田国男翁も述べています。ラとダが入れ替わるのは日本語ではよくあります。稲の種籾や籾殻のこともシラというらしいです。
また沖縄では正月の若水のことをスデ水といい、若返った気分になることをスデルともいうそうで、このスデもシダから来たのだろうということは容易に想像できます。スデルには脱皮の意味もあります。

このスデという言葉が、本土ではどのように変化したかというと、ソダツ(育つ)という言葉です。さらにスヂ(筋)という言葉も柳田翁によれば同源だろうということです。
長野県など中部地方では、種籾を入れた俵のことをスヂ俵といい、正月には俵の上に松を飾り、春に半分は苗代に蒔き、半分は田植のときに炊いて食べるということが行なわれたといいます。

命を再生させる力、稔りをもたらす力をもつのは神なのですが、昔話ではこの神と村の長者の娘との婚姻譚は日本中で語られていました。その子孫たちに神のスデル力が伝えられていったわけですが、それがつまりスヂ、家筋のことではないかと、宮田登氏は言います。
以上は宮田登『ケガレの民俗誌』(人文書院)を参考にしました。
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