梟(ふくろう)の女王

古事記によると、第22代の清寧天皇に皇子がなかったので、次の皇位継承者について、飯豊王(いひとよのおう)に問うたという。飯豊王は履中天皇の皇女である。
飯豊王は、播磨国に履中天皇の孫の皇子が二人生存していることを告げたようである。二人の皇子は飯豊王の甥でもあり、意祁王(おけのおう)、袁祁王(をけのおう)という。二人の皇子は播磨国で発見され、飯豊王の宮である葛城の忍海の高木の角刺宮(つのさしのみや)に住んで成長されたという。

次の天皇が決まるまでの間、飯豊王は、女帝として即位していたのではないかともいわれて、飯豊天皇と書く中世の文献もある。少なくとも次の天皇を決めるほどの立場にあり、養育の責任も負ったことになる。聡明な女性であったにちがいない。皇子の生存を予言したことから、すぐれた宗教的な立場でもあったようである。

ところで、イヒトヨという名前は、文字で書くと飯豊で穀物の稔り豊かな意味のようでもあるが、『和名抄』によると、鳥のフクロウのことだという。
フクロウは、ヨーロッパでも知恵の象徴とされ、夜の鳥であることから、死の国・異界とのなかだちをするともいわれる。フクロウの生態はどこの国でも同だろうから、日本でも同様に解されるのだろう。ヨーロッパでは死の国=不吉という面が強調されることもあるが、日本では異界と交信する鳥として見られたようである。

ちなみに前回記事でふれたミミヅクも、フクロウと同類の鳥である。
ふくろうの総て 古典に見る・日本
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