鳥の名をもつ王

16代の仁徳天皇は、大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)という名前で、サザキとはミソサザイのことである。古事記では漢字表記が異なり「大雀命」と書かれる。

日本書紀によると、天皇がお生まれになる日に、産殿に木菟(みみずく)が飛び入った。
翌朝父帝の応神天皇が、何の瑞兆だろうと大臣の武内宿禰に聞くと、大臣は「まさに吉祥です。昨日の同じ日に私の妻も出産し、ミソサザイが産屋に飛び入りました。これもまた吉祥」と申し上げた。
天皇は、同じ日に生まれたとは益々目出度いこととお喜びになり、「その鳥の名を交換して子に名づけ、後の世の契りとしよう」と仰せになった。
そして皇子は「大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)」と名づけられ、大臣の子は木菟宿禰(つくのすくね)と名づけられた。

以上が日本書紀の話だが、産殿に鳥が飛びこむのは、子どもの霊を鳥が運んできて生まれたと理解されたからだろう。仁徳天皇の霊は木菟が運んだが、名前を交換したために、大鷦鷯の名になったという。東アジア方面では結友のしるしに名前を交換する習俗が少なくないというが、応神天皇も成人後に名前を交換した話がある。

古事記をみると、大雀命の弟に根鳥命という人がいる。また異母兄弟に、木之菟野郎女、女鳥王、速總別命、大羽江王、小羽王という名前が見える。
速總別命(はやぶさわけのみこと)が生まれたときも、産殿にハヤブサが飛びこんだのだろうか?

仁徳天皇陵は大阪府堺市にあるり、百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)と呼ばれる。崩御されたあとの御霊は、モズが運び去ったのかというと、そうでもなさそうで、平林章仁氏によると、古墳を造成するときに土地の地主神の霊をモズに託して立ち去ってもらったことからくる名前だろうという。
倭建命は亡くなって白鳥になったというが、こちらは白鳥陵古墳といっている。

17代の履中天皇陵は、近くの百舌鳥耳原南陵石津丘古墳とされるが、通称「ミサンザイ古墳」というらしい。ミサンザイとはミソサザイに似た言葉だが、陵のことをいうミササギのことだろう。古くはミサザキといったらしい。場所の離れている神武天皇陵も「山本ミサンザイ古墳」といい、仲哀天皇陵は「岡ミサンザイ」、宣化天皇陵は「鳥屋ミサンザイ古墳」という。
http://www58.tok2.com/home/miyosida/kofun/tennouryou.html
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