木地師の祖神、惟喬親王

平安時代の初め、文徳天皇の第一皇子の惟喬親王(これたかしんのう)は、母は紀氏でしたが、即位することはありませんでした。清和天皇が九歳で即位され、外祖父の藤原良房が人臣初の摂政となった時代です。
親王は太宰帥などの地方官を歴任し、貞観十四年(782)、二十八歳で出家して、比叡山の麓の小野の里に住んだといいます。

  桜花、散らば散らなむ。散らずとて、ふる里びとの来ても見なくに  惟喬親王

伝説では、親王は近江国の君ケ畑などに住み、老木からお椀などを作ることを考案され、轆轤挽(ろくろびき)の方法を考案しました。その技法は木地師に受け継がれ、そこから木地師は全国にちらばって木地製品を広めたのだといいます。親王は木地師たちに祖神として崇められ、掛け物にも描かれます。

お椀のほか、こま、盆、こけしなども、木地師が木を回転させながら削って作ったものです。
木地玩具
comments (0) | - | Edit

Comments

Comment Form

icons:

  page top