天神さま、菅原道真

11歳の菅原道真各地の天神社や天満宮で、学問の神として祭られる菅原道真も、現代日本を代表する神の一柱です。
平安時代の中ごろ、学者の家柄としては異例の出世をとげて右大臣にまでのぼったのですが、延喜元年(901)、讒言によって九州太宰府へ左遷されたことで知られます。
九州への旅が決まって自宅で梅の花を詠んだ歌も有名です。
  東風(こち)吹かば匂ひおこせよ。梅の花。あるじなしとて春な忘れそ

京都から船で宇治川を下って瀬戸内海を通って行ったのでしょうが、途中で各地に伝説を残し、各地に祭られる天神社の由来となっています。片道の旅にしては考えられないほど広範囲に伝説が語り伝えられますが、後の天神信仰の隆盛をものがたっているということなのでしょう。

道真は2年後に九州で没しました。その後、道真の霊は雷神となって都周辺に祟りをおこしたといわれ、数十年後には政治的にも復権され、北野天神にもまつられました。
学問・詩文の神とされ、室町時代の禅僧によっては、彼は天満天神となって渡唐し、径山(きんざん)の無準(ぶしゆん)禅師のもとで修行したことにもなりました。

江戸時代には、寺子屋でも天神さまは祭られ、村々の新年の寄り合いなどでも天神さまの掛け軸の前で「歌いぞめ」が行われました。日本では読み書きの両方ができないという人は少ないくらいでした。
けれど、それだけで全国に数千の天神社・天満宮が祭られたというわけでもなく、もともとは雷神としてまつられた「天神社」も多かったらしいということです。そういう天神社では後に菅原道真も合わせまつられるようになったようです。

雷が落ちそうなときは、「クワバラクワバラ」と言うのは、雷除けのおまじないの呪文で、近江国のクワバラという所に菅原道真の領地があったことに由来する、という説明もあります。
画像は11歳で漢詩を詠んだという少年時代の道真を描いたもの
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