笑いとパロディ

 笑いやユーモアとは何か、というテーマに興味を持ったのは十代のころで、新書判の解説本などをいくつか買い求めたことがあった。あまり満足のいく本はなかったように思うが、当時の本は、社会諷刺による笑いが最もランクが高いような書き方のものが多かった。1970年前後のことなので、政治的な批評を重視した時代の風潮のためなのだろう。その後も、古書店などで、目に入った本などを買い足している。本当に面白いと思った本にはまだ出会っていないが、いつか、笑いについて何か書かねばならないと思い続けてきた。
 私のテーマは、喜劇などで、なぜこの場面が笑いをさそうのだろうということにつきる。内省的な分析、そして脚本上の技術的な効果の問題などもある。
 最近、柳田國男の『不幸なる芸術・笑の本願』などを拾い読みしたところ、笑いと笑みは違うという話はもっともだが、笑いをふくむ芸能の歴史に主眼があり、笑いも学問の対象になるのだという力説はもっともだが、関心の方向が違うのかもしれない。

 1990年代に、NHKテレビで「お江戸でござる」という番組があり、その舞台でくりひろげられる笑いに、懐かしい質の笑いを感じたので、そのへんの所から書きはじめるのが良いかもしれないと思ったこともある。それからさらに20年以上も経過した。

「お江戸でござる」で今でも記憶にある笑いは、3人が相互に借金の約束をするという話で、たしか江戸時代の戯作か何かに元ネタがあったと思う。
 その話は、ある商人の男(A)が、取引先から入金の予定が1日遅れると連絡があったが、そのお金はどうしても明日の内に入り用なので、困ってしまった。そこで友人(B)に1日だけ金子を借りられれば明後日には必ず返済できるのだがと相談したところ、友人は江戸っ子らしく二つ返事で自分が何とかすると引き受けた。
 とはいえ友人も手元にお金があるわけではなく、馴染みの花魁(C)にそのことを話すと、花魁は身請けが決まっていて、明日身請金が入る予定なので、1日だけならそのお金を融通しようと言う。友人(B)は大喜びで商人(A)の男に報告。
 さて何が問題なのかというと、花魁を身請けする男とは、その商人の男(A)のことで、どうしてもその日に入用の金とは、身請け金のことだったのである。3人はそれぞれお金を用立てる約束をしたが、当てにしている入金はそれぞれ3人のうちの別の相手であり、それではぐるぐる回りになって、そのお金はどこにも存在していないという可笑しさ。借りる側としてはお金を催促するのも遠慮がちの涙ぐましい笑いもあり、観客はことの一部始終を見て全てを知っているので、可笑しくてたまらないわけである。

落語によくある笑い、「失敗による笑い」に分類できるかもしれない。また、気を使いすぎたときの笑いというのもあると思う。

「失敗の笑い」については、本人にとっては顔から火が出るほど恥かしいものでもあるが、場合によっては自虐ネタにすることもある。
 言葉使いをうっかり間違ったとき、みんなで笑ったときの楽しさが記憶に残り、わざと間違った言い方を繰返しているうちに、だんだんとおかしみが薄れ、違和感まで消えて、普通の言い方の一つとして定着することもあるのではないか。古語から現代語へと変化してきた途中のどこかには、そんな間違いがきっかけになったこともないとはいえまい。となると失敗や笑いが歴史を動かしたのである。

 気を使いすぎて遠回しに言ったことを勘違いするようなギャグは、昭和初期のアメリカ映画にも多かったと思う。故郷の異なる開拓民が集まって一つの町に住んだアメリカ人も、互に気を使ったことだろう。江戸の笑いにも似たところがある。
 そうした見知らぬどうしが気を遣うのは、都市文化だけだろうか。
 日本人は、内と外の区別意識が強いといわれる。家族以外は「外」の領域であり、村の中でも気を使うことが多かった。夫婦でさえ気をつかうこともある。

 ここで、美術史に関する本で、小林忠『江戸の画家たち』という本を読んでいたら、鈴木春信の見立絵について論じている部分が目に入った。

「四周を海に囲まれた列島の内で、かつて単一の民族が濃密な文化伝統を共有してきた我が国では、たがいのコミュニケーションが至極容易に成り立ち得る便宜がある。一を聞いて十を悟るといった、相手の心に寄りそっての親密な理解が、往々身分や階級の枠をもこえて可能となるような、恵まれた環境が古来用意されていたのである。」

 そうした対象への推量や想像の共有があるから、俳句や短歌などの短詩型の文学も繁栄したのだろうという。

「あえて直接的な表現を避け、比喩、暗喩の機智が楽しまれる傾向が強いのも、相手の思いやり深い推察を期待する「甘え」の心理が働いているのであろう。」

ここでいう「単一民族が濃密な文化伝統を共有」とは、笑いについてではなく、著者がのちに述べようとする和歌の本歌取りや見立絵についての「序」のような部分である。ここでは、濃密な関係でなくても、「直接的な表現を避け」遠回しな言い方をする例は山ほどあることを確認したい。

 ものごとを遠回しに言うために、誤解もおこりやすい。そこに笑いも生れる。

 昔読んだ笑い研究の本では、失敗による笑いを「嘲笑」の笑いに分類して、嘲笑の心理は価値が低い、社会諷刺の笑いのほうが上位であるという本が多かった。しかし誤解による笑いは、嘲笑だけなのだろうか。
 落語の「てんしき」では、医者の言う「てんしき」という言葉を、僧は推察して「呑酒器」と解釈した。酒を呑む器、盃のことだろうという。聞くは一時の恥という訓を怠って、知ったかぶりをするという点では、嘲笑の要素もあるだろうが、言葉の語呂合せのようなおかしさが大きいと思う。よくぞそこまで推察したという努力も、おかしいと思う。

 先の小林忠氏の本では、読み手の推察や想像を期待して、和歌では「本歌取り」という技法が成立したという話になり、本歌取りに相応する絵の技法が、見立絵ということになる。
 鈴木春信の「見立て菊慈童」という絵は、岸辺に咲く菊の花の前に、美人がひざまづいているだけで、美人画の一種でもある。菊慈童とは、中国の故事にある、皇帝に寵愛された小姓の名だが、その小姓に見立てた絵ということになる。したがって一種のユーモアも感じられる絵であるが、中国の故事では悲劇の童でもある。重層的な想像の世界が広がって、絵をみたときの感慨に厚みを増してゆく。
 さまざまな見立絵のなかには、笑いがメインになっているようなのも多い。パロディづくめの絵もある。パロディという言葉は、日本語ではないが、しかし日本にパロディの文芸などがなかったわけでもなく、江戸の戯作などはパロディばかりである。
 たとえば江戸時代には、百人一首のパロディ本が何十種類……何百かもしれないが、大量に書かれ、出版されている。その数については、コレクターがいるだろうから、聞いてみてもよいかもしれない。そのほか、平家物語や源氏物語、さまざまの古典をパロディ化して庶民を楽しませた。古典といっても義経や弁慶の話など、子供でもよく知っている話が多いのである。日本では口承文芸といわれる多くの物語があり、歴史物語も混在して、多くの国民の共有知識になっていた。西洋では共有の物語は聖書の話が多いので、笑いの対象にはなりにくかったのかもしれない。

 笑いについては、パロディを中心に考察してゆくのが良いのではないかと思う。パロディは、さまざまな知識の共有が前提になる笑いであるので、知的な笑いのように分類され、庶民の笑いではないように考えられてきたかもしれない。しかしパロディは必ずしも高度で知的な笑いというわけでもない。
 たとえば、童話や昔話には、よく「繰返し」のパターンがある。「花咲爺」でいえば、正直爺さんの行動を、隣りの爺がそっくり真似ようとする場面がある。これを行動のパロディとみることもできる。新しい童話(小沢正のものなど)を読むと、繰返しの場面は必ず笑いがともなうので、昔話でも同様だったと考えて良いと思う(ここが重要)。そうした物語の繰返しや、人真似をする場面などは、それ自体を一種のパロディとみなしうるのである。こうした類のパロディをふくめて考察してゆけば、パロディとは必ずしも広範な古典の教養を必須とするものではないことも明らかになるだろう。

以上のことを書いてきて、十代のころに課題とした一つのテーマについて、半世紀を経て、ようやくその糸口が見えてきたような気がする。
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