鏡開き

1月11日は「鑑開き」の日といわれる。
正月の神へのお供えの餅を下げてきて、固くなっているのを割って、雑煮にして食べる。神様の魂や御利益もいただくということになる。

正月の餅は、非常に重要なものとされ、樋口一葉の小説『大つごもり』にも出てくる。貧乏な伯父夫婦は、幼い子に正月の餅を食べさせられないことを、非常な恥と思っていた。

「大道餅買ふてなり三ヶ日の雜煮に箸を持せずば出世前の三之助に親のある甲斐もなし」(大つごもり

正月の餅を食べられない子は一人前の大人になれないという考えのようだ。あるいは、
武士でないのに、貧乏していても武士……といった印象をうけるので、金を無心するための誇張があるのかもしれないが、それはともかく、正月の餅が重要であることは理解できる。

国語大辞典(小学館)をみてみる。
「かがみびらき【鏡開】
(「開き」は「割り」の忌み詞)正月行事の一つ。正月に供えた鏡餅をおろし、二〇日の小豆粥(あずきがゆ)に入れて食べる。のち一一日の仕事始め(倉開き)に行なうようになった。武家時代には、男子は具足に、婦女は鏡台に供えた鏡餅を、二〇日に取り下げ、割って食べた。婦女は初鏡祝いともいう。鏡割り。」

「武家時代」とは江戸時代のことであろう。武家のしきたりの説明が長い。後に11日に変わったのは、民間行事と習合してのことなのかは不明。
鏡開きは、正月の連続する行事の「ひと区切り」の行事でもある。民間では古くは15日の小正月のほうを重視したので、それより前にお供餅を下げることはないのかもしれないが、神棚の大神宮様の餅なら、下げるかもしれない。一年の仕事始めの前には、餅を食べていないと、仕事が始まらないようにも思う。仕事始めが11日というのは「初山入り」と関係があるようで、職業によって仕事始めは異なると思われる。
元旦や小正月、さらに節分行事がからんでくると、年が改まるというのは、ある一瞬にということではなく、次第次第に改まるということなのだろう。
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