死に水と生き返らせる水

井之口章次著『日本の葬式』(ちくま文庫)は、死に水をはじめとした葬式関連の習俗や俗信の調査事例をもとに、日本人の死生観について述べた本です。

普段、手を洗ったあと水を拭かずにパッパッと水を切るような動作をするのは、縁起が悪い、その水が人にかかると親の死に目に会えない、という俗信があります(最近はないかもしれませんが)。
それは、水のかけかたが、一部の地域に残る死に水のかけかたと同じだからだろうといっています。死に水は、近親者が箸の先につけた白い布に水を浸して亡くなった人の口に含ませるのが一般的なやりかたです。しかし徳島県で、顔に水を吹き掛けて「○○さん戻るか」と声をかけるという調査報告があり、魂を呼び戻すための水と考えるべきということになります。
死にかかった身体から抜け出した魂を呼び戻すための呪法があり、びっくりした子供に対して、「沖縄ではマブイ(魂)の抜けた子供にマブイツケルとき、茶碗の水を子供の額につける」のも同様の意味だろうというわけです。

同書では、葬儀についてのいろんな習俗が、じつは生き返らせるための呪法だったという指摘が多く、日本人の死生観を改めて考えさせられる本でした。

昔は原因不明とされる病気も多く、若い人でも突然に死が訪れることも少なくなかったのでしょう。それで魂を呼び戻す方策がいろいろ考えられたことでしょう。
けれどそれで生き返ることがなかったという経験の積み重ねによって、死に水は「末期の水」、諦めてお別れするための水という解釈になっていったのかもしれません。

この本は途中まで読んで休止しています。読むほうにとっては「生き返らせる」というのが現世への執着を意味するように感じられることがあったからです。
もう少し諦めの段階に入って、別の次元へ生き返らせること。そして亡くなった魂の一部が次の世代の者にうまく継承されるようにすること。そういう観点からのものを読みたくなったためです。
けれどそういったことは、葬式の後、49日ないし50日の期間に行われることであって、葬式に関しては、著者の言うように、あれもこれも元は生き返らせるための作法だったという見方が正しいのでしょう。

20年くらい前までは通夜には黒い「喪服」ではなく、平服で参列するのが普通でした。それは生き返って欲しいということの表現だったわけです。葬儀になったら黒い服に変えて区切りを付けるという気分でした(喪服が黒になったのは戦後のことです)。
けれど最近はみんな黒い服で区別がなくなり、通夜や葬儀に始まり、50日や1年、3年……、区切りの諸行事の違いや区別もよくわからないという人が多くなってしまいました。
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