「ちかと」の神、「ちかつ」の神

「ちかと」の神、「ちかつ」の神

東日本の、福島県から長野・静岡県までに多い「ちかと」「ちかつ」「ちかた」という名の神について、長くはないがまとめの一文を昨秋に書いた。
表記は、ちかとは、近戸・千鹿頭など、ちかつは近津・千勝など、ちかたは知形・千方などがある。

「ちかと」の意味は、「ちか」は白鳥などの大型の渡り鳥、「と」は所であり、白鳥の飛来地」などの意味だったが、そこが河川交通の要所となり、湊や津となって神が祀られたのが最初であろう。近都牧などでは武士団も常駐した。ちか(近)が鳥の意味であることは、今は北海道の地名解説などによく出てくる。

一文を書いたときに、新たに気づいたことは、「ちかと、ちかつ」の、トとツの発音の違いについてである。ト(O音)とツ(U音)では、ツのほうが口を開かずすぼめて発音する。口をあまり開かない発音は東北地方などに多いわけだが、福島県や栃木県や茨城県、旧常陸国の範囲では、チカツであり、他はほとんど確認されてないと思う。チカトとチカツの違いは、方言の違いであると断定できる。

問題はチカタであり、これは埼玉県北部、本庄市から羽生市にかけて確認されるが、県西部、秩父郡に近戸の地名があり比企郡西部に近戸明神があり、チカタはごく限られた地域だけに見られるようである。理由は不明だが、一つ考えられるのは、○○明神から○○大明神と呼ばれるようになると、後に続く母音に連られ、ト(O)〜ミョ(O)からタ(A)〜ダィ(Ai)となることがあり、国語学でいう母音調和のようなものである。昔の呼び方の例が多く収集されれば裏づけになるかもしれない。

以下に一文を載せる。

川辺の神、近戸の神



 段丘地形のことではなかった話。
 秩父市の中心部あたりから西の荒川べりに、近戸(ちかと)町というところがあり、桜橋のかかっている所である。
 地名に近(ちか)をふくむ場所は、ある程度の規模の川の端ばかり目立ったので、最初は河川段丘に由来するかと思ったのだが、調べていくと、そうではないようだ。
 チカは北海道に多くて、岩手県には近内(ちかない)というところがある。東北の地名の内(ない)とは、アイヌ語系で沢とか小さめの川のことで、それは地名に少し詳しい人なら知っている。ではチカは何かというと、アイヌ語辞典にある白鳥などの大型の白っぽい渡り鳥のことらしいということになった。当時は北海道の地名解説は読んでいなかったが、だいぶあとで読むとやはりそうなっていた。
 最初はいちおう仮説として、チカトは「白鳥の飛来地」の意味であるとしてみた。

 チカの地名は全国的に広範囲にあり、近松の近が鶴の意味だとしたら、近松は鶴と松、花札の絵柄のようで出来すぎの感があるが、茨城県の千勝(ちかつ)神社には鶴に乗って猿田彦が空から降りて来たという神社もある。群馬県の近戸神社、東関東と福島県の近津(ちかつ)神社や千勝神社も同じだろうということになった。トとツの違いは、ツのほうが口をすぼめて発音するからで、東北や茨城・栃木訛りの発音である。東関東のなかで千葉県にはこういう名の神社が見つからないと書いて公表したら、どこそこにあるという情報が来て、手賀沼の北岸にあり、すぐ近くになんと山階鳥類研究所がある所だった。チカの意味はこれで間違いないということになった。
 白鳥の飛来地に神を祀ったのが最初だろう。ペリカン便ではないが、河川交通の要所といった感もある。ある人の指摘に、中世に大阪京都の淀川の要所に近都牧というのが多数あり、船を引く馬を確保しておくための牧であり、船の中継基地でもあったという。「近都」の読み方は不明で歴史学者は仮にキントと読んでいるとのこと、チカツ、チカトとも読めるわけである。そして馬泥棒から守るために武士団が常駐するようになったという。
 柳田国男は、近戸とは、城に近い所、城の搦(から)め手のことで、近戸の神とは城の搦め手の神のことだと書いていることがわかった。搦め手は、堀を通って船が城に横づけされる場所であり、河川交通の起点と終点であるが、柳田の説明は、深谷城の知形(ちかた)明神にぴったり当てはまる。チカタがチカトの転とすれば、タはトよりも口を大きくあける違いである。埼玉県では北葛飾方面にチカツという神がいくつかあるが、他はチカタ(千形、千方)である。長野県では千鹿頭(ちかと)神という。群馬県の大胡(おおご)城の裏の大胡神社は、近戸明神とも呼ばれて、深谷城と同様に城の守護神である。近戸の神と武士団との縁は、すでに近都牧のころからあってのことなのだろう。
 しかしチカトやチカタは、特定の祭神の別名ではなく、場所の呼び名、または地名である。あるいは「近戸の神」と言うときは「城や館の守護神」という意味の普通名詞のように使われることもあったようだ。大胡神社には、ある時期に城主が崇敬する赤城の神を近戸明神と併せ祀るようになったとする文書があるが、となると近戸の神は格上の赤城の神を護衛する性格も付与される。関東周辺のチカト、チカツ、チカタの神の祭神名は一様ではないが、全体を俯瞰して見ると、赤城神クラスの地方の有力神か、護衛神的な神ないし道案内の神(猿田彦など)であるか、またはその両方であることがほとんどである。護衛神のなかには天孫降臨のときの天孫に伴随した神も含まれ、天孫をも併せ祀ったと見られる例もある。
 そして戦国の世を経て武士がいなくなった地域では、付近の住民が鎮守として祀るようにもなるのだろう。
(右のチカツ、チカト、チカタの説は最初に2002年に公表したものだが、今回千鹿頭の文字を確認するためWikipediaの「千鹿頭神」の項を見たら、一部を取り入れてもらっている。口をすぼめて発音云々については今回気づいて初めて書いた。)

 白い鳥の飛来地を意味する地名は、他にもいくつかある。
 万葉集に「子負(こふ)の原」のことがあり、第六章に書いておいた。鴻の鳥のほか白鳥や鷺などもコフといった。
 久々宇(くぐう)は本庄市の利根川べりの地名だが、クグヒ(くぐい)(鵠)の意味だろうとは、岩波新書の『日本の地名』(谷川健一)にもある。鵠(くぐひ)も白鳥などの同類の白い鳥のことである。
 久下(くげ)もクグイの転であろう。神奈川県には鵠沼(くげぬま)海岸があり、文字も鵠になっている。熊谷市、飯能市、加須市の久下、川越市の久下戸も川べり(旧川べり)にあるが同様だらう。本庄市教育委員会の『本庄市の地名』という冊子は、執筆者の自説は載せない方針のようだが、本庄市南部の久下塚、久下前、久下東などの小名の久下をクグヒの意味としている。バス停の名で一つは見たことがあり、近くに川がないように思えてただ頭の中に入れておいたが、その一帯の大字名は「北堀」であると気づいたのは最近である。
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