消えた湖の伝説その2

むかし湖だったという伝説のその2、西日本編です。

(7)伊賀の湖沼
三重県上野市の愛宕神社の由緒。「満々と水を貯えていた伊賀の湖沼は(第三紀古琵琶湖層群の一部)は地殻の変動をくり返すうちにだんだん水位がさがり先ず最初に南宮山(伊賀一ノ宮)が現われ、次いで朝日嶽(愛宕山)が出現して伊賀の国原が生み成されたといわれます」

(8)京都盆地
綾戸国中神社の由緒。「素戔嗚尊が山城の地、西の岡訓世の郷が一面湖水のとき、天から降り給い、水を切り流し国となしその中心とおぼしき所に符を遣わし給うた」

(9)巨椋の池
京都の都から南へ行ったところに実際にあった大きな沼。

(10)亀岡盆地(京都府)
亀岡市上矢田町の鍬山神社の由緒。「大巳貴神が国土を経営し給ひし時に丹波国は泥湖にて洪水山を抱き濁浪天を凌ぎ、土人の産業安からず、茲に八柱の神を黒柄嶽に召し給ひ図りあひ給ひて、乃て一葉の船を泛べ一把の鍬を挙げ、保津請田のあたりを疎通し給ひければ、沃土出で来り家郷開けにしより後、人其の徳を尊びこの地に祀りたりと伝説す。」
亀岡市の桑田神社の由緒にも「往古この地方は湖なりしを、亀岡市矢田町鍬山神社の祭神と共に、自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き、山城の地に水を流して亀岡盆地を干拓されたと大日本史の神社誌に見られる」とあります。
桑田神社の祭神は女神の市杵嶋姫命なので、鍬山神社の男神の力も必要だったのでしょう。

(11)豊岡盆地(但馬)
兵庫県の豊岡市の小田井縣神社の由緒。「国作大己貴命は、……大昔、この豊岡附近一帯が泥湖であって、湖水が氾濫して平地のないとき、来日岳のふもとを穿ち瀬戸の水門をきり開いて水を北の海に流し、水利を治めて農業を開発されました」

(12)阿蘇谷
熊本県の阿蘇神社の由緒。「健磐龍命(たけいはたつのみこと)は、……大湖水であった阿蘇火口湖を立野火口瀬より疎通し阿蘇谷の内に美田を開拓せられ、住民に農耕の道を教えられた」

(13)ほかに奈良盆地(大和平野)が湖だったという伝説もあります。
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