子(ね)の日の小松
<一昨日の続き>
一昨日にも書いた『和漢朗詠集』の「子日付若菜」に載る菅原道真の詩。
「松樹に倚り、以て腰を摩で、風霜の犯し難きを習ふ」
について、
やはり落語の「寿限無」に出てくる「五劫の擦り切れ」を連想したのだが、それはともかく・・・、
松の樹に倚りかかると、樹皮は堅くて、悠久の昔から天女が衣を掛け、長い長い年月にわたってもなほ変ることのない松樹。
たしか菅原道真自身も、九州太宰府への旅の途中で、衣を掛けたといふ衣掛松の伝説の地もあったと思ふ。ほかにも旅をした幾人もの歌人に、衣を掛けて将来を祈ったといふ、同様の伝説がある。
子の日について、前述の壬生忠岑の和歌もあるが、
江戸時代の鈴木春信の絵に書かれた和歌がわかりやすい。
子(ね)の日とて今日引きそむる小松はら木たかきまでを見るよしもがな
年の始めに野辺で小さな松を引いて、家の庭に植ゑる。その木が高く成長した将来の姿を見る方法はないものか、といふ意味である。
逆に、後世の者からいへば、よく成長した、あるいは老いた松を目の前にして、誰が植ゑたのだらう、今の姿を、植ゑた人に見せたいものだと思ふこともあらう。
★補足 「子の日とて」の歌は、国歌大観CD-ROM版を検索したところ、新後撰和歌集(1216)にのせる後嵯峨院御製であることがわかった。
一昨日にも書いた『和漢朗詠集』の「子日付若菜」に載る菅原道真の詩。
「松樹に倚り、以て腰を摩で、風霜の犯し難きを習ふ」
について、
やはり落語の「寿限無」に出てくる「五劫の擦り切れ」を連想したのだが、それはともかく・・・、
松の樹に倚りかかると、樹皮は堅くて、悠久の昔から天女が衣を掛け、長い長い年月にわたってもなほ変ることのない松樹。
たしか菅原道真自身も、九州太宰府への旅の途中で、衣を掛けたといふ衣掛松の伝説の地もあったと思ふ。ほかにも旅をした幾人もの歌人に、衣を掛けて将来を祈ったといふ、同様の伝説がある。
子の日について、前述の壬生忠岑の和歌もあるが、
江戸時代の鈴木春信の絵に書かれた和歌がわかりやすい。
子(ね)の日とて今日引きそむる小松はら木たかきまでを見るよしもがな
年の始めに野辺で小さな松を引いて、家の庭に植ゑる。その木が高く成長した将来の姿を見る方法はないものか、といふ意味である。
逆に、後世の者からいへば、よく成長した、あるいは老いた松を目の前にして、誰が植ゑたのだらう、今の姿を、植ゑた人に見せたいものだと思ふこともあらう。
★補足 「子の日とて」の歌は、国歌大観CD-ROM版を検索したところ、新後撰和歌集(1216)にのせる後嵯峨院御製であることがわかった。
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