「坊ちゃん」の実母、そして丸谷才一

昨年秋、丸谷才一の『星のあひびき』といふエッセイ集(文庫判)を読んだら、「『坊ちゃん』のこと」といふ4ページのエッセイがあり、何かにつけ坊ちゃんを可愛がり援助しようとする清(きよ)といふ女中は、坊ちゃんの実母であらうといふ。
「やっぱりそうか」といふ思ひ。この「やっぱり」とは、かねて自分がさう思ってゐたわけではないのだが、「やっぱり」と表現するしかないやうな、どこかでさうなるべくして到達した認識に違ひないといふ感覚である。

丸谷氏は、清が実母であることを証明する手間は簡単に済ませ、なぜ今までこのことに気づかなかったのだらうと、その原因について筆を進めてゆく。

父と清の間に生れた坊ちゃんは、家の体面を重んじて母の戸籍上の実子として育てられたわけだが、昔はありそうなことである。

大塚英志『捨て子たちの民俗学』によると、柳田国男や小泉八雲にも、自分は一種の「捨て子」だといふ意識があり、それが学問の大きな動機になってゐたといふ。折口信夫も然りであらう。
沢山美果子『江戸の捨て子たち』は、江戸時代の捨て子をケアする村のしくみなどについて、実証的に研究した本である。
他にもいくつか同類の本を読んでゐた。

私自身は、江戸中期以後の村々の人口が固定していった時代の二男三男たちは、一種の「捨て子」となって、都市の町人文化を成立させたのだと思ってゐた。「二男以下の者たちが皆非人になった」といふ司馬遼太郎の言葉も、意識から離れない。明治時代の徴兵制では、親の扶養義務のある長男は金納によって兵役を免れたが、二男以下は徴兵に取られ、戦死する者もあった。靖国神社は、長男が二男以下を祀るかたちで国民に定着していったのではないか。鎮魂によって二男以下は故郷にもどり、長男は意識の上で故郷を捨てるのだろう。これらは全て一連の「捨て子」たちであり、神話時代の須佐之男命以来の、さすらふ文学のことであり、日本文化のことでもあるのだらう、そんなことを考へてゐた。

丸谷氏のエッセイに書かれてゐた三浦雅士『出生の秘密』を読み始めてみたが、文芸評論の本に不慣れで、分厚い本だといふこともあり、途中で読むのをやめてしまったが、その本でふれられてゐた『樹影譚』といふ丸谷才一の小説を読んだ。これは、ある小説家の前にある日突然謎の老女が現はれ、私はあなたの実母なのだと名のり出る話。

河出書房『文芸別冊・丸谷才一』の三浦雅士氏によると、
丸谷氏がいふには「折口信夫を一言でいへば、……自分の本当の父親は違ふんぢゃないか、本当の母親は違ふんぢゃないかといふ幻想が膨らんだ、それであれだけ書いた人」、といふことらしい。通俗的な一面をとらへて何か核心をついてゐるやうな指摘が丸谷氏らしいのだらう。

丸谷氏の小説『横しぐれ』も読んでみた。
産婦人科医の父の、生前唯一の長期旅行だった四国道後温泉の旅で出会った男は、種田山頭火ではないか、それを推理してゆくストーリーである。結局単純な年代の思ひ違ひが原因で、その説は否定されるのだが、最後に父のそのときの旅の理由が明らかにされる。父は過去の愛人であった女性の堕胎手術に失敗してその女性を死なせて事件となり、その沈鬱な心理状態を救はうと父の友人が誘った旅であった。堕胎手術の10年前に父と愛人との関係は解消してゐた。事件当時、主人公は中学一年生なので13歳。愛人との交際が4年以上だったとすると、主人公が生れた時期に愛人関係だったことになり、まさか主人公はこの愛人の子ではあるまいか、などと思った。そこで最後の何ページかを再読することになる。
事件当時、母が自殺するのではないかと周囲が心配した。愛人の発覚がそれほどショックなら、愛人の存在を知ったのはそのときが初めてであり、夫の愛人の子を戸籍上の実子として育てたとは認めがたい。しかし周囲が心配しただけで実際の母の行動は明らかではない。
女性は愛人関係だったころ既に若い未亡人だった。実母であるなら、小説ではやはりどこかで実子のことを気づかったり意識してゐることを匂はす描写があると思ふので、それがないところをみると、物語の上では、やはり愛人は実母ではないのだらう。
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