神話の森のブログ

日本の神話や民俗、また近世農村研究

文久四年の暦


文久四年の暦木版一枚刷の古い暦が、物置から出てきた(画像クリックで拡大)。

「文久四(年)甲子」とある。
「甲子」は六十干支の始りであり、甲子年には改元されることが多く、江戸時代も1624年・寛永 1684年・貞享 1744年・延享 1804年・文化 と改元され、この年(1864年)も2月20日に元治元年と改元された。

大の月は3、5、7、8、9、11月、小の月は1、2、4、6、10、12月とある。
太陰暦なので大の月は30日、小の月は29日である。太陽暦になると大の月は31日で、小の月は必ず「二、四、六、九、十一」月になり「西向く士(さむらい)」とおぼえることになった。

さて文久4年は、大の月は7、8、9月と連続し、小の月は1、2月と連続している。たまたまこうなったということだろうか……。

太陰暦には閏月というのがある。閏月の決め方は、地球の公転軌道の1周360度を30度づつに12等分し、更に24等分したときの地点の日が二十四節気である(これは現在も同じ)。そして二十四節気の中気である春分の含まれる月は旧暦の2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月などとなる。画像では太字で書かれた月の漢数字の左に「中十六日」などとあるのが中気の日である。そして約3年に一度、12の中気が含まれない月があり、これが閏月となる。
節気は角度で決めるので、節気から節気までの期間は、地球が太陽から少し遠くなる7〜8月前後は少し長くなるが、月の一周はほぼ一定なので、一年のうちでも5月〜10月ごろが閏月がやや多くなる傾向がある。

文久四年の暦の下のほうを見ると、「初午2月11日、ひがん2月10日、社日2月17日」とある。2月17日は祈年祭の日でもある。
「八十八夜3月28日、入梅5月3日、半夏生5月29日、二百十日7月30日、冬至11月23日」、11月23日は新嘗祭だが、新嘗祭は冬至祭の要素もあるので、この年はぴったりの日である。ただし新嘗祭は11月の2回目の卯の日とされたこともある。

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