日本人論

「兎追ひし彼の山」と歌う文部省唱歌の「故郷」は良い歌だと思う。「志を果していつの日にか帰らん」とも歌う。そこでふと思うことは、志を果たせなければいつまでたっても帰れないのだろうかということである。日本の望郷の歌は、どうもそんなところがある。帰れなければ須佐之男命のように罪を背負って永久にさすらうだけである。ある詩人は日本文学は「さすらい」の文学だと言う。

アメリカの歌謡では、こんな歌詞もある。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B08552 (思い出のグリーングラス)
あちらには都会で夢破れても暖かく迎えてくれる故郷があるようである。日本の現代の若者は、どのような気持ちでこの歌を聞くのだろうか。アメリカ民謡ではこういう類の歌詞は多いようである。

日本人は、「落ちこぼれ」に対して、見て見ぬふりをしたり、時には冷酷になることがある。いじめを受けている人を見て見ぬふりをするのは、現代人が薄情になったからではなく、昔からそうだったらしい。そういう日本人だから、歴史上の為政者たちは、人々の平等ということに神経を尖らせて来たのだろう。安土桃山時代や幕末に日本に来た欧米人の見た日本社会は、天皇も貧しい食事をし、殿様も同様で、江戸時代の士農工商からあぶれた人たちにも特別な保障がされていたと記録される。

「時には冷酷になる」とは、極端な例では、旧軍隊の捕虜に関する対応に、顕著に見られる。
「西欧の軍隊ならば、最善の努力を尽くした後に、衆寡敵せずとわかれば、敵軍に降伏する。彼は降伏し[て捕虜になっ]た後もやはり名誉ある軍人と考えており、その名前は、彼らの生きていることを家族に知らせるために、本国に通知される」(Rベネディクト『菊と刀』)
日本軍では捕虜になることは最大の屈辱であって、故郷の人々に顔向けができないと考えた。それで結局、討ち死にやら自決ということになる。戦陣訓の「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」ということが徹底的に教育されたかというとそうではなく、山本七平によれば入営以来皆で戦陣訓を唱和することもなく、日本人の自然の感情だったらしい。現代の地方自治体が天文学的な大赤字になるまで赤字は公表しない、企業の不祥事も外から暴露される直前まで発表しないのと、なんら変るところはない。
日本の軍隊には救護班や医療システムも軽視され、兵隊たちは軽傷なら民間療法に頼り、重傷なら見殺しにするしかなかったらしい。
日本では、非業の死をとげた人が神に祀られることがあるのは、見殺しにしてしまったことへの贖いの意識があるためなのだろう。

日本人のこういうところは簡単には改まらないだろう。だから政治経済面で破滅的な事態にならないように政治システムで細かく補ってゆくしかないだろう。大企業が「国際競争力」を最優先させることは間違いだということである。
どんなことについても長所と短所は表裏一体のものである。海外からも賞賛されているような日本の美意識も、どこかで日本人の限界とつながっていると思うが、悪いものではない。日本の皇室が一貫して日本の政治経済のリーダーではなかったように、世界の中の日本人が皇室以上の存在になることはありえない。日本人の自然観やら日本文化の良さを日本人はもっとしっかり身につけておくべきだろう。

(以上、昨年ごろから、”日本の危機”といったテーマの新書判を多数乱読しての感想を書いて見た)
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