「こだま」と「ひかり」

昭和39(1964)年の東海道新幹線の開業のときの列車名は、「ひかり」と「こだま」だった。「こだま」とは音速の意味でもあり、秒速340メートルとまではいかないまでも速いもののことだったのだろう。新幹線以前の最速特急列車の名前をそのままひきついだものである。「こだま」より速い「ひかり」は、光速の秒速30万キロメートル、大げさではあるが、高度成長時代の景気付けだったのかもしれない。

バブル崩壊後の1992年に更に速い新幹線「のぞみ」が誕生した。「のぞみ」は、いかにも不況の時代を示すような名前であり、人々が精神の内面の世界をさまようようになってしまった時代の象徴だろうと、堀井憲一郎という人が書いている(『若者殺しの時代』)。
それに付け加えるならば、「ひかり」や「こだま」は必ず反射して帰ってくるものだが、人々の「のぞみ」には見返りがあるとは限らないということである。人々の一方的な無数の「のぞみ」が衝突しあう時代になってしまったからだろうか。「のぞみ」以前の昭和50年代(1975〜1984)には、実際に、若者たちが地方に帰って就職先を求めた「Uターン現象」が注目された時代もあったのである。

「こだま」以前の国鉄最速特急の名前は「つばめ」だったと思う。つばめも秋には南方へ去って春には帰ってくる。周期の期間こそ違うが、「こだま」も同様の命名法によるものだった。虎は千里行って千里帰る、だから出征兵士に千人針の布を持たせた時代もあった。片道とか片便りといった「片」のつくものを日本人は嫌い、二つ揃ったものを縁起の良いものとしてきた。紅白まんじゅうや、相撲の横綱も東と西の二人は対等であるし、手紙の便箋も2枚にするために白紙を添えた。そのような日本人的な感性でもあった。

しかし「ひかり」が反射して帰ってくるものだというのは、理科の知識としてはその通りだが、日常感覚としてはどうだろうか。否、それよりも、宇宙には光速よりも速いものは存在しないという知識がありながら、次世代のことは考えずに、単なる一世代に過ぎない者たちが、この世の最速を名乗ってしまったのは、なぜだろうか。
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