千羽鶴

平凡社世界百科によると、戦後、病気平癒の祈願を込めて普及したという現状のほかは、戦前の兵隊の無事帰還を祈った千人針との関連を指摘していた。虎は千里行って千里帰るとか、死線を越えるといった縁起が書かれてあった。戦前以前の千羽鶴については不明なのだが、吉川弘文館の日本民俗大辞典によると、折紙自体は平安時代からあったということだった。
最近ネットを調べたら、1797年(寛政9年)に伊勢国桑名の長円寺の僧による『秘伝千羽鶴折形』という本があることがわかった。千羽鶴という言葉は江戸時代からあったことになる。
この本では、1枚の紙から複数の鶴を折る「連鶴」の作り方が書かれ、多数の和歌も添えられている。和歌は艶っぽい恋歌も多いが、少女から老女までの、当時の女性の生活を意識したものになっている。
桑名市の公式HPの桑名の千羽鶴というページでは、折紙は平安時代ごろの熨斗(のし)の包み方などから発達したように書かれ、古く神事用の御幣との関連を想定している。
現代の千羽鶴については、類似の形状から、あるいは柳川や東伊豆そのほか各地の「つるし雛」との関連については興味深い。つるし雛は、繭玉飾りに似たもののように思える。
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