あやめもわかぬ五月雨
「いづれが菖蒲(あやめ)か杜若」とは、すぐれたものどうしが優劣をつけがたいことをいう。
「あやめもわかぬ」も、区別のつけがたいことをいうのだが、この「あやめ」は花のことではなく、筵(むしろ)などの編み目や布の模様のこと(綾目、文目)で、「あやめもわかぬ」は、優劣ということではなく、単にものごとがはっきり見えないこと、分別がつかないことをいう。暗闇でものがよく見えないことにもいう。
葛城やあやめもわかぬ五月雨 松瀬青々
梅雨の時期の雨で景色も薄暗くてはっきり見えない情景である。しかしやはり花のアヤメにも掛けている句なのだろう。
旧暦5月28日は、曽我兄弟の仇討があった日である。富士の裾野での巻狩を終え、夕べの宴も終るころのことを、文部省唱歌では次のように歌っている。
「富士の裾野の夜は更けて、宴のどよみ静まりぬ。
屋形屋形の灯は消えて、あやめもわかぬ五月闇」
こちらは真っ暗で何も見えないような状態だったようだ。
本間祐編『超短編アンソロジー』(ちくま文庫)に、小泉八雲の『狂歌百物語』からの歌が載っていた。
これやそれとあやめもわかぬ離魂病 いづれをつまと引くぞわづらふ
離魂病とは今でいう夢遊病のことだろうか。妻の顔もわからぬとは記憶喪失でもあるのだろう。
誰だか彼だか顔がわからない夕闇のことを「誰そ彼」の意味で「たそかれ」という。
五月雨のたそかれ時の月影のおぼろげにやはわれ人を待つ 凡河内躬恒(玉葉集)
「あやめもわかぬ」も、区別のつけがたいことをいうのだが、この「あやめ」は花のことではなく、筵(むしろ)などの編み目や布の模様のこと(綾目、文目)で、「あやめもわかぬ」は、優劣ということではなく、単にものごとがはっきり見えないこと、分別がつかないことをいう。暗闇でものがよく見えないことにもいう。
葛城やあやめもわかぬ五月雨 松瀬青々
梅雨の時期の雨で景色も薄暗くてはっきり見えない情景である。しかしやはり花のアヤメにも掛けている句なのだろう。
旧暦5月28日は、曽我兄弟の仇討があった日である。富士の裾野での巻狩を終え、夕べの宴も終るころのことを、文部省唱歌では次のように歌っている。
「富士の裾野の夜は更けて、宴のどよみ静まりぬ。
屋形屋形の灯は消えて、あやめもわかぬ五月闇」
こちらは真っ暗で何も見えないような状態だったようだ。
本間祐編『超短編アンソロジー』(ちくま文庫)に、小泉八雲の『狂歌百物語』からの歌が載っていた。
これやそれとあやめもわかぬ離魂病 いづれをつまと引くぞわづらふ
離魂病とは今でいう夢遊病のことだろうか。妻の顔もわからぬとは記憶喪失でもあるのだろう。
誰だか彼だか顔がわからない夕闇のことを「誰そ彼」の意味で「たそかれ」という。
五月雨のたそかれ時の月影のおぼろげにやはわれ人を待つ 凡河内躬恒(玉葉集)
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