木を植える神(植樹祭の季節に)

植樹祭の季節になる。
戦後の焼け跡に多くの家が建ち、学制改革によって全国に新制中学校が建てられ、多数の木々が伐採された。そのころから、天皇皇后両陛下をお招きしての植樹祭が始まった。「全国植樹祭」の名称は昭和45年からという。木を植えることは、緑や自然環境を保つということ以上に、人間らしい安らぎを得られるようにも思う。
全国植樹祭での昭和天皇の御製。
  美しく森を守らば、この国の禍(まが)も避けえむ。代々(よよ)を重ねて

日本の「木の神」については、古事記の最初の部分に見える久久能智神(くくのちのかみ)がある。日本書紀では木の種を持って父の素盞嗚尊(すさのをのみこと)とともに天下った五十猛神(いたけるのかみ)がある。五十猛神は別名を大屋毘古神(おほやびこのかみ)ともいい、妹の大屋津姫命(おほやつひめのみこと)と爪津姫命(つまつひめのみこと)とともに、全国に木々の種を蒔き、のちに紀伊国に留まった神だという。

「いたける」の語義については、「神奈備にようこそ」で詳細な検証がされている。
その一部に柳田国男説なども紹介され、柳田翁によれば、イタとは、東北地方の民間の巫女であるイタコのイタと同様であり、語りごと、すなわち神語りの意味だという。語りごとによって子の神として親神を祭る立場の神という名前の意味になる。
ところで同じ柳田翁の『野鳥雑記』によれば、雀のことを方言でイタクラと言う地方があり、紀伊国西牟婁郡 大和国十津川地方、阿波国祖谷地方などでそう呼ぶらしい。単にクラとだけ呼ぶ地方も沖縄など少なくない。クラは小鳥の総称の意味にも使われ、燕のことをツバクラまたはツバクラメというときのクラのことだろう。するとイタクラとは、「語りごとをする小鳥」の意味になる。

ところで、各地を飛び回って木の種を蒔くこと自体が、鳥の役割なのではないかと思う。私見ではあるが、イタという言葉に既に「種を蒔く鳥」のような意味があって、その鳥(イタ)の鳴き声を、神の語りごととして聞いたために、「語りごと」の意味になったのではないかと思えなくもないのである。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

Comments

Comment Form

icons:

Trackbacks


  page top