円生の「水神」と水神の森のカラス

三遊亭円生(六代目)の落語『水神』は、御本人の作ったもので、近代文学の香りさえただよう佳作といえる。……

屋根職の杢蔵は、女房に逃げられて、一人赤ん坊をあやしながら、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の縁日で、露天商いの女と出会った。女はなぜか上から下まで黒づくめの服装だった。大声で泣く赤ん坊を、女が抱いて乳を含ませると、赤ん坊はすっと泣き止んで、やがて安らかな眠りについた。
女の名は、おこう(お幸)という。このことが縁で、杢蔵は女の家に赤ん坊を預けて仕事に出るようになり、やがて共に住むようになる。女の家は水神の森にあった。水神の森とは今の隅田川神社のあたりである。

幸せな五年が過ぎた。二人には夫婦関係はなかったのだが、ある朝、杢蔵は偶然に女の寝姿を見て驚いた。女の首から下は黒い羽のカラスだったのだ。
女は、水神の使いの牝ガラスで、不始末を犯したために人間の女にされたのだという。五年で許されるはずだったが、人に正体を見られてしまったため、これからは野ガラスとして一人さまよわねばならない。女は杢蔵に黒羽織を差し出し、これを着てくれれば二人でカラスになって生涯ともに暮らせるという。杢蔵はしかし子供のことを思ってこれを断ると、不意に一陣の風が吹き、女も家もたち消えて、空にはカラスの群が舞うばかりだった。

その後、杢蔵は男手一つで息子を育て、息子は奉公先の呉服屋の婿養子におさまった。老いて一人となった杢蔵は、女のことを思い続けた。ある日カラスの群れを見て、例の黒羽織を脇に抱えて屋根に昇った。そして羽織に袖を通すと、急にからだが軽くなり、ふわりと宙に浮きあがった。空を舞いながら、杢蔵は女の名を呼ぶ。「おこう、おこう」

……見てはいけないという禁忌、天上で罪を犯した女のさすらい、など、昔話の要素が多数盛り込まれながら、結末は文学的である。

江戸時代の狂歌師の木網は、水神の森の近くで髪を剃って狂歌の道に入ったという。

 けふよりも衣は染めつ墨田川、ながれわたりに世をわたらばや  木網

木網を偲んで蜀山人が詠んだ歌。

 水神の森の下露はらはらと秋をもまたぬ落ち栗のおと  蜀山人
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Comments

toya | 2006/04/28 09:58
最後の「おこう、おこう」がカラスの鳴き声になっていて、いいですね。
先日、円生の「死神」のDVDを入手、見たばかりだったので彷彿として感慨がありました。
ぜひ、この話も聞いてみたいものです。
ところで、この水神は熊野神社ですか?
森の番人 | 2006/04/28 11:43
本文「隅田川神社」の部分にあるサイトへのリンクを設定しましたが、水運の神としての信仰が厚かったようです。熊野水軍との関係はわかりませんが、烏はごく一般に神の森には多いです(烏森稲荷など)。
『水神』はいかにも日本の伝説の様式がありますが、『死神』は西洋の伝説との関係が云々されることもあるようですね
森の番人 | 2009/07/03 23:20
円生の「水神」は、菊田一夫の作とわかりました。
「君の名は」「鐘の鳴る丘」などの作者ですね。

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