いざ鎌倉

 北条氏五代目の執権、北条時頼は、僧形で諸国を巡り、地方の実情を視察したという。あるとき上野国の佐野で大雪にあい、とある民家に宿を借りると、家の主は貧しい暮しにもかかわらず、丁寧に僧を迎え入れ、盆栽の梅、桜、松を薪にしてまで暖をとってもてなした。主の名は佐野源左衛門常世。領地を一族の者に奪われて、貧乏はしているが、もしも鎌倉に一大事でもあれば、一番に馳せ参じて命を捧げる覚悟だと語った。それからしばらくして鎌倉で兵を集めるという話を聞いた源左衛門は、「いざ鎌倉」とばかり痩せ馬に乗って駆けつけた。多数の兵の中から源左衛門を見出した時頼は、その忠誠をたたえ、領地や恩賞を与えたという。

 この話は謡曲「鉢木」などで庶民にも親しまれ、源左衛門の痩せ馬を詠んだ江戸時代の川柳もある。

  佐野の馬、戸塚の坂で、二度ころび

 この話は実話ではなく、次の藤原定家の歌から構想されたのではないかといわれる。

  駒とめて、袖打ち払ふかげもなし。佐野の渡りの雪の夕暮れ (藤原定家)

定家の詠んだ「佐野」は紀州熊野付近らしいが、佐野源左衛門の住まいは今の群馬県高崎市上佐野または下佐野あたりだろう。
今の世の中でも、佐野源左衛門のような人はいるのだろうか。そして「いざ鎌倉」のような時は来るのだろうか。
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Comments

たかし隊長 | 2006/04/11 04:47
現代に生きる人間にとってはにわかに信じられない話ですが、私は「いざ鎌倉」を胸中に念ずる、または誓うことのできる人間は、当時必ずいたのであると考えます。
「いざ鎌倉」のような時が来るかどうかは分かりませんが、管理人様も暗に示しておりますとおり、来る可能性は絶対に否定できないのですから、日本人もいいかげんに、脳天気なふるまいは慎むべきであると考えます。
森の番人 | 2006/04/14 00:40
「清貧」という考えかたは、良いものだと思います。
現代では、フリーターやニートの若者たちの「貧しさ」の問題がありますが、彼らに対して「いつか必ず」という言葉をかけるのにはためらいがでてしまいます。世の中がなんとかならないといけない問題です。

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