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  日本の神話抄 1


江森天寿・御神影

●国生み(伊邪那岐の命、伊邪那美の命)

 太古の昔、天と地が初めて分かれたときは、まだ陸は海に溶けこんでゐて、濃い塩の海となってゐた。そこから何かが葦の芽の伸びるやうに沸き上がって、雲ができた。(あめ)浮橋(うきはし)といふのは、この雲のことかもしれない。
 伊邪那岐(いざなきの)(みこと)伊邪那美(いざなみの)命は、天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛(ぬぼこ)を海に差し下ろして、海を掻き回された。矛を引き上げると、矛の先から塩が滴り落ちて、重なり積もって島ができた。オノゴロ島といふ。
 二柱(ふたはしら)の神は、この島に降って、天の御柱(みはしら)八尋殿(やひろどの)を見立てられた。そして、それぞれ天の御柱の左と右から別々に廻って行き、向ひ側で顔を合せ、伊邪那美命が先に言はれた。
  ○あなにやしえをとこを
次に伊邪那岐命が言ふ。
  ○あなにやしえをとめを
 そして結婚されたのだが、女神の伊邪那美命から先に言葉を言はれたため、良くない御子(みこ)が生れた。名は水蛭子(ひるこ)。この子は葦船に入れて流してしまったといふ。その後、大八洲(おほやしま)ほか数々の島や、山川・草木の神々が生まれた。
 右の二神の言葉は、「をとこ、をとめ」以外は意味は明らかではないが、生まれる子の男女の性別などを占ふものともいふ。国生みの一種の予祝行為で、古事記では「伊予国を愛比売(愛媛)といふ」などと生まれた島や国にも男女の別があり、それを占ふ言葉なのだらうか。

●黄泉国

 多くの島や神々が生れ、最後に火の神 である火之迦具土神が生れたとき、伊邪那美命は火傷を負ったために黄泉国(死者の国)へ去ってしまった。伊邪那岐命は、国作りはまだ終はってゐないとして、妻を追って黄泉国を訪ねた。夫の迎へに、妻の神も帰る決意をして黄泉神と話し合ふことになった。しかしその時間が夫には長く思へてならなかった。見てはいけないと言はれてゐたにもかかはらず、禁忌であったはずの一つ火を灯して妻の姿を覗き見してしまった。そのために、伊邪那岐命は、黄泉国との境界である黄泉平坂に千引の石を引き据ゑて逃げ帰るしかなかったのである。このときから人は、一日に千人死に、一日に千五百人生まれることになったといふ。次の歌はいろは四十七文字を使用した拙作。
  ちはやぶる 黄泉ついざなみ 遅悪子(おそわろこ) 在らせ終へ得
  めのほとに 受けし傷ゆゑ 隠れ居て 眠りたまひぬ

●天照大御神と須佐之男命

 黄泉国から帰った伊邪那岐命は、筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸(をど)阿波岐原(あはきはら)(みそぎ)をされた。そのとき、天照大御神(あまてらすおほみかみ)月読命(つきよみのみこと)須佐之男命(すさのをのみこと)の三柱の神がお生まれになった。天照大御神は高天原(たかまのはら)にお住みになり、月読命は夜の国にお住みになった。須佐之男命は海の国に行かれる予定だったが、天照大神と須佐之男命の間には、重大な問題が発生したやうである。
小村雪岱  二神は、天の安河(やすかは)で「うけひ」をされた。うけひとは、何かの誓約を立てて呪的行為をなすことをいふらしい。その結果は須佐之男命が清い心であることが証明されたのだが、須佐之男命は、勝ち勇むあまり高天原の神田を荒らすなどの罪な行動をされた。そのため天照大神は、天の岩戸(いはと)に籠もられてしまったのである。
 天の岩戸の前で、天児屋(あめのこやね)命らが祭を行ひ、天宇受売(あめのうずめ)命が舞ひ、天手力男(あめのたぢからを)命が岩戸を開くことによって、やうやく天照大神はお顔を見せられた。
  ○岩戸()る手力もがも。手弱き()にしあれば、すべの知らなく  藤原為頼
  (岩戸を開いた手力男の力を借りたいものです。手弱き女ですから[この気持ちを押さへ付ける]術がないのです)
 須佐之男命は、あらゆる罪を一柱で犯されたかのやうに、つぐなひのために地上に降りることになった。

●八雲立つ

 須佐之男命は、出雲国の肥川(ひのかは)の上流にお降りになった。すると川上から箸が流れてきた。川上に人が住んでゐること察して、須佐之男命が川を上って行くと、翁と(おうな)が娘を中に置いて泣いてゐた。名を尋ねると、老夫婦は国つ神・大山津見神(おほやまつみのかみ)の子で、足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)といひ、娘は奇稲田姫(くしなだひめ)といふらしい。八人の娘があったのだが、(こし)の国から八俣(やまた)大蛇(をろち)が毎年やってきて娘を食ひ、今、最後の娘を差し出さねばならず、悲しんで泣いてゐるのだといふ。八俣の大蛇は、目は赤黒い酸漿(ほほずき)のごとくで、身一つに八つの頭と八つの尾が有る。身には苔と桧や杉が生ひ茂り、身の丈は八つの谷と八つの尾根にまたがり、腹は常に血にただれてゐるといふ。
小村雪岱  須佐之男命は、奇稲田姫と結婚の約束をした。そして姫を櫛(湯津爪櫛(ゆつつまぐし))に変へて、みづらに刺してお守りとした。足名椎と手名椎は、八鹽折(やしほをり)の酒を()み、川辺に垣をめぐらし、その垣には八つの門を作り、門毎に八つのサズキを結ひ、サズキ毎に酒船を置いて八鹽折の酒を盛り、大蛇を待った。
 いよいよ八俣の大蛇がやってきた。本当に聞いた通りの形相をしてゐた。大蛇は、酒船を見つけると、八つの酒船に八つの頭をたれて、酒を飲み始めた。すべて飲み干したら、酔ひつぶれて寝てしまった。須佐之男命は十拳(とつか)の剣を抜き、大蛇の八つの頭と八つの尾を切り散らかすと、大蛇の血は肥の川を赤く染めた。中ほどの尾を切ったとき、尾のなかから剣が出てきた。珍しい剣なので、高天原の天照大御神に献上することにした。これが草薙(くさなぎ)の剣である。
 須佐之男命は、奇稲田姫との結婚の地を求めて、須賀(すが)の地に着いたとき、「吾ここに来て、御心すがすがし」と仰せになり、この地に宮を作らせ、奇稲田姫とともにお住みになった。宮をお作りになったとき、そこから雲が立ちのぼり、御歌を詠まれた。
  ○八雲立つ 出雲八重垣。妻籠(つまごみ)に、八重垣作る。その八重垣を
  (やくもたつ雲のとり囲む出雲の八重垣の中で、妻は結婚のために物忌みをする。その八重垣を、これから作るのだ。そのめでたい八重垣を)
 この歌を、五七五七七の短歌の始めとすることから、歌道のことを「八雲の道」ともいふ。須佐之男命は、出雲の熊野大社や、八重垣神社などに祭られてゐる。

小村雪岱

●大国主命

 須佐之男命と奇稲田姫(くしなだひめ)の子孫の大国主命(おほくにぬしのみこと)は、常世(とこよ)少彦名(すくなひこな)命とともに、大八洲(おほやしま)の国を、豊葦原水穂国(とよあしはらのみづほのくに)といはれるほど豊かな国に作りあげた。大国主命は、別名を大己貴(おほなむち)命ともいひ、大汝命とも書く。
  ○大汝(おほなむち)少御神(すくなみかみ)の作らしし、妹背(いもせ)の山は、見らくし、よしも  人麻呂歌集
  (大汝と少彦名の神がお作りになった妹背の山は、見るだけでも良いものだな[たとへ越え難くとも])
 少彦名命は、枕詞を付けて「(いは)立たす 少彦名」と呼ばれ、石神として祀られることが多い。
  ○大汝少彦名のいましけむ、しづの岩屋は、幾世経ぬらむ  生石真人
  (大汝と少彦名の神をお祭りしたといふこの懐かしい岩屋。あのときからいったい幾世を経たのだらうか)

●天若日子物語

 下界で立派な国が作られてゐるのを調べるために、高天原から天若日子(あめのわかひこ)が使者として天降った。ところが天若日子は、大国主神の娘の下照姫(したてるひめ)と結婚し、八年も帰らなかった。ある日、若日子が庭先の雉を矢で射ると、矢は、雉のからだを貫いて天上へ飛んで行き、高天原の高木神(たかぎのかみ)の足もとに落ちた。その矢は射返されて、たまたま寝床にあった若日子の胸に当たり、若日子は死んでしまった。妻の下照姫の泣く声は、周囲に響き渡り、風に乗って高天原にまで届いたといふ。
  ○から衣。下照姫の()な恋ひそ。天に聞こゆる(たづ)ならぬ()
  (唐衣の下を照らす美しい下照姫よ。もう夫を恋ふでない。天にも届く鶴の声にも紛ふその泣き声を聞かすな)

小村雪岱

●国譲り

 国造りを終へられた大国主神は、御子の事代主(ことしろぬし)命と建御名方(たけみなかた)命の二人と相談して、天照大御神の子孫に国譲りをされた。
  ○「……吾が住みかをば、天つ神の御子(みこ)天津日嗣(あまつひつぎ)知らしめす とだる天の御巣(みす)なして、底津石根(そこついはね)に宮柱太知り、高天原に氷木(ひぎ)高知りて治め賜はば、吾は百足(ももた)らず八十隈手(やそくまで)に隠りて侍ひなむ。……」
 出雲の杵築(きづき)の地に、「高天原に氷木高知りて」の言葉通りの巨大な出雲大社が建てられ、大国主の神が祭られるやうになる。事代主命は出雲の三保神社に祭られ、建御名方命は、信濃の諏訪大社に祭られてゐる。

●天孫降臨

 高天原の天照大御神は、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、八坂瓊(やさかに)勾玉(まがたま)八咫(やた)の鏡、草薙(くさなぎ)の剣の三種の神器を授けて、みことのりされた(天壌無窮の詔勅)。
  ○豊葦原(とよあしはら)千五百秋(ちいほあき)瑞穂(みづほ)の国は、これ吾が子孫(うみのこ)(きみ)たるべき(くに)なり。(なんぢ)皇孫(すめみま)、行きて知らせ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)(きはま)り無かるべし。
 かうして瓊瓊杵尊は、筑紫の日向国の高千穂に天降った。天孫降臨といふ。

●木花開耶姫

 日向国に降りた瓊瓊杵(ににぎ)尊が、笠狭(かささ)の岬に到ると、「()立つる浪穂の上に、八尋殿(やひろどの)を建てて、手玉(ただま)ももゆらに」(はた)を織る少女が尊を迎へ入れた。大山津見神(おほやまつみのかみ)の娘の、磐長姫(いはながひめ)木花開耶姫(このはなのさくやひめ)の姉妹である。この女神は、富士の浅間神社の神である。
 尊は、妹の木花開耶姫を娶ったところ、一夜にして御子を宿したといふので、その子は国つ神の子ではないかとお疑ひになった。姫は「もし国つ神の子ならば、産むことやすからじ」と「うけひ」されて、御子をお生みになるとき、産屋に火を放たれた。姫の言葉通りに三柱の御子が無事に生まれ、尊の御子であることが証明された。御子の名は火闌降命(ほすせりのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)火明命(ほあかりのみこと)の三柱である(日本書紀)。
 姫は、疑はれたことを、あとあとまで恨んで、尊に逢ひたがらなかったので、瓊瓊杵尊は、憂へて御歌をお詠みになった。
  ○沖つ藻は 辺には寄れども、さ寝床も 与はぬかもよ。浜つ千鳥よ
  (沖の藻草さへ浜辺に寄せられて来るといふのに、寝床も与へられないのだな。浜の千鳥は)

●カムイ・フチ(火の神)

 前段で産屋に火を放つことが語られたが、アイヌの社会では、炉辺でお産をするのは、火の神であるカムイ・フチ(老婆の神)に赤子を取り上げて貰ふためといふ。昔、天の神がハルニレの女神を地上に降して火をもたらして以来、アイヌの女子は火の神の系統をひく巫女であるとされる。火きり臼や火きり杵はハルニレ(春楡)の木で作られる。火の神は竃のかたはらなどにヌサ(御幣のやうなもの)を立てて祭られる。アイヌの人は生涯を火の神とともに過ごし、葬送のときも火の神に送られるといふ。これは本州などの盆の迎へ火、送り火などの考へ方と通ずるものである。
 次の神謡は「ハリツ・クンナ」といふユーカラから筆者による抄訳。

  昔二人の若者が、谷地の魔神に襲はれて、
  一人は首から食はれたが、一人は村へ逃げ帰る。
  魔神が村へ来てみると、火の老女神・カムイフチ、
  赤い着物を六枚に、重ねて帯しめその上に、
  六枚着物を羽織っては、魔神の前に飛んで出た。
  「これやこれ、お前は何しに村に来た。さあさ、お帰り。帰りなさい」
  赤い杖で叩かれて、杖の先から出る炎、
  火にあぶられて責められて、魔神は村中を逃げ惑ふ。
  そのとき小さな若者が、蓬の一矢を射放つと、
  魔神の首を貫いて、たちまち魔神は息絶えた。
  神の勇者の若者は、オキキソムイと名のります。
  倒れた魔神も満足に、村の平和を喜んだ。

●豊玉姫

 火闌降(ほすせり)命と彦火火出見(ひこほほでみ)尊は、ある日お互ひの道具(兄の釣針と弟の弓矢)を交換した。ところが彦火火出見尊は、兄の釣針を波間で失くしてしまひ、探し訪ねて海の果ての海神(わたつみ)の宮を訪れた。宮で、わたつみの神の娘の豊玉姫(とよたまひめ)と結ばれ、しばらく供に暮らしたが、釣針が見つかったので、日向の国へ帰ったのだった。
 豊玉姫は、尊の御子を宿してゐた。天つ神の御子なので、海中で産むわけにはいかないとして、日向の国へやって来た。
 急いで海辺の渚に、鵜の羽を葺草(ふきくさ)にして産殿(うぶどの)を造った。屋根を葺き合へぬうちに、姫は臨月となって産殿に入られた。子を産むときは本来の姿に戻るといふ。姫は八尋ワニになって、産殿の中をを這ひまはった。これを覗き見してゐた尊は、驚いて逃げてしまった。豊玉姫は、見られたことを恨み恥づかしんだが、見られてしまったことは否定しがたく、御子を置いて、海境をさへぎって海へ帰るしかなかった。生まれた御子は、鸕鷀 草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)天津日高日子波限(あまつひこひこなぎさ)建鸕鷀 草葺不合命(たけうがやふきあへずのみこと))と名づけられた。
 豊玉姫は、夫や子への恋しさのあまり、妹の玉依姫(たまよりひめ)を乳母として送り、わたつみの宮から歌をお届けになった。
  ○赤玉は 緒さへ光れど、白玉の 君が装ひし、貴くありけり
 彦火火出見尊も、豊玉姫へ、返事の御歌をお送りになった。
  ○沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝(ゐね)し 妹は忘れじ。世のことごとに
  (沖から毎年鴨が渡って来る島で、我と共に寝た妻は、忘れはしない。めぐる年毎に思ひ出さう)
 鸕鷀 草葺不合命は、日向(宮崎県)の鵜戸神宮に祭られてゐる。命は、乳母の玉依姫命と結婚して、神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと)神武(じんむ)天皇)がお生れになった。