五木の子守歌

球磨郡五木村

 五木の子守歌は昭和二十年代にレコード歌謡として知られるやうになった。

 ○おどま盆ぎり盆ぎり、盆から先ゃ居らんと、盆がはよ来りゃはよ戻る

 お盆になれば子守奉公が終って実家へ戻れるといふ歌詞は、馴染んだ子供との別れを惜しむものと解すのが自然である。伊豆諸島などでは最近まで子守奉公の少女と子供の関係は、乳母と子の関係として一生続いたといふ。お盆で終りといふのは、奉公の期間が一、二年と短いことを暗示する。短期間の子守は少女たちの通過儀礼であり、社会教育でもあり、村の全ての少女が子守奉公を経験した地方も多い。専門の子守を雇ふ余裕があるはずの地主であっても、あへて年季奉公の少女を雇ふのは、村のしきたりによるのだらうし、村の教育責任者を自認するからなのだらう。

 この歌は人吉の町へ子守奉公に出た娘たちが、臼挽歌の節で歌ひ始めたものといはれる。戦後のこの歌の流行のころ、地主対農奴の娘といふ誤った解釈の宣伝に地元は困惑したといふ。