天草・島原の乱

天草郡

 寛永十四年(1637)に起った島原の乱は、天草地方へも拡大し、事態を重視した徳川幕府は、板倉内膳正重昌を大将とする鎮圧軍を派遣した。板倉は、翌十五年正月に、反乱軍の拠点の原城(島原半島)へ仕掛けた攻撃のときに討死した。

 ○胸板を打ち通されて、板倉や、即ちそこで命ない膳

 しかし乱は二月中に鎮圧され、幕府は島原藩主の斬罪ほか徹底した処分とキリシタン禁制を強めたといふ。天草郡河浦町(下島)の大江天主堂前で詠んだ歌人の歌。

 ○白秋とともに泊りし天草の大江の宿は、伴天連の宿      吉井 勇