水俣城の攻防
水俣市
天正七年(1579)、薩摩の島津義久が、相良氏の水俣城を攻撃したが、城代の深水宗芳の抵抗により、戦ひは持久戦となった。秋を迎へるころ、城内へ一本の矢文が飛んで来た。城代が文を開いてみると、次のやうな発句が書かれてあった。
○秋風にみなまた落つる木の葉かな (皆また=水俣)
そこで城代が付句を書いて矢文を敵陣に射返した。
○寄せては沈む月の浦波(月の浦とは水俣城の西の海岸のこと) 深水宗芳
やがて持久戦に業を煮やした島津軍は、天草から数百の軍船を押し寄せたが、折りからの暴風雨に遭遇して月の浦に沈んだといふ。