阿蘇の神

 太古のむかし阿蘇の外輪山の内側は大きな湖だったといふ。そこへ健磐龍(たけいはたつ)命といふ巨人がやって来て、外輪山の西の一角を足で蹴ると、滝ができ、水が流れ出た。だんだん湖水が引き始めると、湖の底から巨大な鯰が現はれ、湖の東半分を塞き止めてゐたので、命は太刀を振りかざして鯰を退治した。かうしてできたのが、阿蘇谷(あ そ だに)(阿蘇盆地)であるといふ。阿蘇谷には千枚田と呼ばれる棚田が広がってゐる。七月二十八日の阿蘇神社の「おん田祭り」で歌はれる田歌。

 ○一つ歌ひてこの田の神に参らせう。神も喜ぶ、田主も植ゑて喜ぶ……

 健磐龍命は、神八井耳(かむや ゐ みみ)命の子とされ、大和から九州へやってきたともいふ。健磐龍命は、土地の草部(くさかべ)吉見(よしみ)命の娘・阿蘇都姫(あ そ つ ひめ)を妻とし、速瓶玉(はやみかだま)命が生まれた。速瓶玉命は阿蘇国造となり、その子孫が神職の阿蘇氏である。健磐龍命は、国土開拓の神として、一宮・阿蘇神社(一宮町)にまつられ、速瓶玉命は国造神社にまつられてゐる。

 ○あまねくも代々を照らして北の宮、速甕玉の神の光りは    阿蘇友隆

 鯰は国造神社の境内の鯰社にまつられてゐる。阿蘇の人は鯰を食べない風習があるといふ。鯰は、地震除けとして各地にまつられてもゐる。

 阿蘇山の煙は阿蘇明神が衆生の罪に代はって焼かれ給ふ炎ともいはれた。

 ○若草の罪に代はりて立ち昇る煙ぞ、神の姿なりける      古歌

 むかし阿蘇神社の北の田鶴原には池があった。あるときこの池に天女が舞ひ降りて水を浴びてゐた。阿蘇都姫の兄の新彦命が、天女の天の羽衣を隠したために、天女はそのまま土地に残って新彦命の妻となった。生まれた子供をあやしながら、新彦命が歌った子守歌がある。

 ○汝が母の羽衣は、千把こずみの下にあり

 この歌で隠し場所を知った天女は、羽衣を捜し出し、歌を残して天に帰ったといふ。

 ○恋しくば尋ねてござれや宮山に

 阿蘇町宮山(赤水)の吉松神社では、三月に阿蘇神社の神職らが来て行ふ「御前迎へ」の神事がある。目かくしした神職が山に入って樫の木を伐り、これを姫神として彫刻し、阿蘇神社へ神幸して神婚の儀が行なはれるといふ。