島原の子守歌

 「島原の子守歌」は、邪馬台国研究の著作もある宮崎康平といふ人が戦後に作詞した民謡である。曲は、竹内勉によると、島原から山梨県へ移住してじゃが芋を作ってゐた農家を皮肉ったエグエグ節といふ山梨県の民謡がまづあって、これを大正十二、三年ごろ山梨県韮崎地方の人が観光用に整へて縁故節の名で 者に歌はせて流行らせた曲とほぼ同じである。

 ○おどみゃ島原の……梨の木育ちよ、何の梨やら……いろ気なしばよ、しょうかいな
  はよ寝ろ泣かんで、おろろんばい、鬼の池の久助どんの連れん来らすばい

 早く寝ないと、天草の鬼ノ池の久助に連れて行かれて、「からゆきさん」として売られてしまふぞ、と歌ってゐる。からゆきさんとは、明治のころ長崎県や天草地方ほか各地から東南アジア方面などへ出稼ぎに渡った娘たちのことで、多くは娼婦となったらしい。純真な娘たちは成功して長者となることを夢見たはずだったが、本土では娼婦に対する価値観が急速に変っていった時代だった。数年で着のみ着のまま帰国した娘たちを待ち受けてゐたものは、新しい性道徳が広まりゆく社会だった。右の歌は戦後のものである。