厳島の合戦

佐伯郡宮島町

 天文二十四年、周防国から陶晴賢(すゑはるかた)の二万の兵が厳島に侵攻したが、毛利元就は四千の兵でこれを打ち敗った。毛利氏は村上水軍を味方につけたといひ、以後中国地方の大大名となっていった。陶晴賢はこのとき辞世の歌を残して自害した。

 ○何を惜しみ何を恨まん、元よりもこの有様の定まれる身に    陶晴賢(すゑはるかた)