速鳥

明石市

 むかし仁徳天皇の御代に、明石の泉のそばに楠の大木があり、朝日にはその蔭は淡路を覆ひ、夕日には難波の高津宮(たかつのみや)を蔭とした。楠は伐られて船に造られたが、舟は一楫に七浪を越えて飛ぶやうに走り、速鳥(はやとり)と名づけられた。明石の泉の水を毎日高津宮に届けたが、次第に速度が遅くなり、間に合はなくなったので、中止になったといふ。

 ○住吉の大倉向きて飛ばばこそ速鳥といはめ、なにか速鳥      風土記逸文