松風と村雨

神戸市須磨区

 むかし在原行平は、晩年に須磨に流され、淋しい生活をおくったといふ。

 ○わくらばにとふ人あらば、須磨の浦に藻塩たれつつ、わぶとこたへよ 在原行平

 行平が須磨の月見山(稲葉山)を眺めながら浜を歩いてゐると、二人の汐汲みの娘に声をかけられた。名を聞くと姉はもしほ、(いもうと)はこふぢと答へた。家を聞くと歌で答へた。

 ○白波の寄する渚に世を過ごす海女(あま)の身なれば宿も定めず

 このとき急に風が吹き雨が降ってきたので、三人は近くの観音堂の廂を借りて雨宿りをした。行平は二人を気に入って「松風」「村雨」の名を与へた。姉妹は月見山の北の多井畑村の村長の娘で、行平の身の回りの世話をすることになった。期間を終へて行平が都へ帰ったのちも、姉妹は観音堂のかたはらの庵で幸薄い生涯を送ったといふ。

 ○立ち別れ、稲葉の山の峰に()ふるまつとし聞かば、今帰り来む   在原行平

 ○三瀬川(みつせがは)。絶えぬ涙のうき瀬にも、乱るる恋の淵はありけり     松風