布引の滝
神戸市中央区
神戸市の
○晒しけんかひもあるかな、山姫のたづねてきつる布引の滝 栄花物語
○久かたの天つ乙女の夏衣、雲井にさらす布引のたき 藤原有家
源義朝の長男義平は、悪源太義平と呼ばれるほどの荒武者で、平治の乱でも勇名をはせたが、この乱では平氏に敗れ、義平は捕はれて五条河原で打ち首となった。処刑の際、首斬り役の難波常俊に向かって「雷となって怨み殺さん」と叫んだ。その年の七月七夕の日、清盛の病気全快の祝が布引の滝でおこなはれたとき、突然黒雲が立ち込め、稲妻の轟音とともに、雷がおち、難波常俊は焼け死んだといふ。